三河地震
1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分愛知県三河地方にマグニチュード6.8の地震が発生。
死者2,306人、負傷者3,866人、全壊住宅7,221棟。
未だ第二次世界大戦中でのこと敗戦も濃厚となっていた。戦時下の報道管制の下、被害の調査、救済等はあまり行われなかったようだ。

私は、8歳小学2年生、母と姉と弟、父は戦争に行っていた。地震発生、母にたたき起こされたが、母は避難するどころか神棚と仏壇に向かって助けを求めていた。揺れがやっとおさまって家から出て避難した。家族皆怪我はなかった。2階に同居していた親戚は、階段を降りるとき割れた牛乳瓶で足を切った。被害は、煙突が折れた程度ですんだ。
津波は、それほどではなかった。ただ余震が長く続きなかなか家に入って寝ることはできなかった。74年前のことである。
当時のことが書かれたものが見つからなかったがやっと次ぎの書物を手に入れた。
「戦争に隠された「震度7」木村玲欧著

三河地震のことが書かれている書物

三河地震の震度

今何を考えておくか
立川断層のことが心配される。東大和市にも「断層の会」というサークルがあり、上北台公民館で活動をしている。逐次、自然災害情報が発信されている。
東大和市から防災マップが発行されており、いざというときの避難場所を確認して下見しておくことも必要である。

市防災マップ