所在地 奈良橋一丁目363番地
宗 派 真言宗豊山派 中藤・真福寺末

(画像はいずれもクリックで大)

中世の建立を伝え、市内で唯一、創建当初からその位置が動いていないお寺です。
南面からの全景、狭山丘陵の谷ッの先端に位置します。
かっては前面に山峡田が広がり伽藍を映し、中央に太い畦道のように参道が通っていました。
文久2(1862)年の火災により古い記録をすべて失っています。
背後の墓地に、1592年、奈良橋村に配属された徳川家康の直属の家臣・旧地頭の石川大郎右衛門代々の墓碑があります。

明治6年、最初の小学校・厳玉学舎(げんぎょくがくしゃ) が寺域内に置かれました。
明治14年(1881)11月21日、寺域内にあった奈良橋小学校で自由民権運動「奈良橋懇親会」が開かれています。

雲性寺の歴史

東やまと20景
全景・位置
山門
本堂
本尊 阿弥陀三尊像 木造弘法・興教両大師坐像 木造地蔵菩薩半跏像
石川地頭墓

狭山三十三観音霊場第十八番札所 本尊十一面観音像

木造仏
聖観音像 元禄7年(1694)
木造弁才天坐像(江戸時代)と弁才天石像の残欠(『正徳六年』(1715年)=市内最古)

石造物
宝篋印塔 慶長、元和、承応の年号あり 慶長(1596~1614)、元和(1615~1623)、承応(1652~1654)
五輪塔 享保3年(1718)5月初二日
真言供養塔(光明真言塔)住僧墓地 元禄9年(1696)阿闍梨伝栄
六地蔵
六地蔵石幢(とう)天保7年(1836)
地蔵尊 正徳5年(1715) 秩父・西国・坂東巡礼供養
地蔵尊 裏山墓地 延享5年(1748)
地蔵尊 宝暦11年(1761)
地蔵尊 嘉永7年(1854)丸彫立像
地蔵尊 明治42年(1909)

馬頭観音 寛政九年(1797)

庚申塔(阿字庚申) 正徳6丙申(1716年)3月 法印傳栄
庚申供養塔 享保16年(1731)

坂東・秩父・西国百ヶ所巡礼供養塔 明和9年(1772)
廻国供養塔(大乘妙典六十六部廻国供 安永6年(1777)正月吉祥日
無縫塔 天明8年(1788)
角柱型 寛政12年(1800)

小学校
明治6年(1873)小学校 厳玉学舎を仮本堂に設置 教師 雲性寺住職李桃浄海
明治9年(1876)7月、厳玉学舎が奈良橋学校となる
神奈川県からの通達により、一つの村に小学校一校を置く場合は校名に村名をつけることになりました。

明治27年(1894)村山第二尋常小学校と改名
以後、大正12年(1923)現在の第一小学校の地に新しい学校が設置されるまで、小学校が存続。

自由民権運動
明治14年(1881)11月21日 自由民権「奈良橋自由懇親会」が開催される

ハンカチの花・ボタン

(2017.06.05.記)

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