松っこごれ地蔵
高木神社の東側、妙楽寺墓地の一角に地蔵堂があります。

中に、背の高いお地蔵さんが居られます。
松ぼっくりを肩にかけ、足もとにも供えられています。
地元では「松っこごれ地蔵」「いぼ地蔵」と呼ばれます。
このお地蔵さんについて『東大和のよもやまばなし』は次のように伝えます。

 「地蔵堂の中には右手に錫杖、左手に宝珠を持った身の丈百五十センチメートルの立派な石のお地蔵さんが祀られています。

お地蔵さんの背面には
毎日晨朝入諸定
入諸地獄令離苦
無仏世界度衆生
今世後世能引導
という文字が刻まれています。

昔、このあたりが一面の原だった頃から、「いぼ地蔵」といわれ村の人達の信仰を集めていました。このお地蔵さんにお願いするとがんこないぼもいつの間にかコロリと取れてしまうからなのです。
いぼを取ってもらった人は、お礼に山から「松っこごれ」(松かさ)を取ってきて木綿の糸でつなぎ、首や手にかけてあげました。いつも松っこごれでかざりたてられているので、いつしか「松っこごれ地蔵」といわれるようになり親しまれていました。

昔は地蔵堂もなく広い原にポツンと立っていましたので、子供達の良い遊び相手にもなったようです。男の子は棒を振りまわしてお地蔵さんの廻りを飛びまわり、女の子は子守りをしながらままごと遊びをしました。お地蔵さんの台座でもち草つきでもしたのでしょうか、台座に石でたたいたようなあとが沢山残っています。

信心深い村の人達はお地蔵さんに木のお堂を作ってあげました。お地蔵さんはそれからも長い年月、お堂の中からじっとみんなを見守ってきたのです。このお地蔵さんは、いつ頃誰の手によって高木の原に祀られたものか今では知る人もありませんが、村山六地蔵の一つといわれています。(後略)(『東大和のよもやまばなし』p4~6)

 お地蔵さんの背には延命地蔵菩薩経の偈(げ)が彫られています。ここから延命地蔵尊であることがわかります。延命地蔵菩薩経の偈については別に記します。
かって地蔵尊がまつられて居たところ
 このお地蔵さんは、もとは、高木二丁目の志木街道の道沿い(高木駐在所の近く)にありました。交通量が増え道路の道幅を広げたことから、平成9年(1997)に現在地に遷されました。
(クリックで大)
   志木街道、高木一・二丁目の旧地です。清水、武蔵大和駅・東村山市方面を向いて写しています。信号機を左に曲がると円乗院、狭山公民館、狭山神社に出ます。右側安全柵のところに地蔵堂があり、お地蔵さんはその中に居られました。
建立の頃
 地元では、地蔵堂を移転した時の供養碑に、平成9年(1997)から数えて285年前の建立としています。単純に遡れば正徳年間(1711~1716)になります。東大和市内では正徳2年、清水の大日堂の胎蔵界大日如来像の造立、三光院の梵鐘が造り替えられるなど、村人たちの信仰が高まった時でした。同時に、正徳4年には、江戸市中で、物価高のため町人の騒動が起こり、狭山丘陵では、幕府の御用林の改め調査がなされるなど、緊張も高まった時代でした。
 狭山丘陵南麓に新田開発が進み、ようよう、生活基盤が整ってきた一方で、天候異変や騒動が続くざわめきの中で、子孫の安楽を願った仏が、いつか、いぼ地蔵さんとして広く信仰されたようです。
 村山六地蔵については稿を改めます。 (2017.06.20.記)