古い多摩川が運んだ石ころが残されている(芋窪礫層)

 「狭山丘陵は古い多摩川が削り残したんです」
 「また冗談云って!」
 「絶対ごまかされないから!」
 

 東大和市蔵敷の熊野神社の本殿を拝観し終わって、一息ついての話題です。 

蔵敷 熊野神社 本殿両脇の小さな崖に芋窪礫層の露頭が見られる
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 「多摩川ってここから2キロ近く離れてますよ」
 「でもね、これが、その証拠なんです」
 「エ、エ・・・?」

 「そりゃ、触るとボロボロになるから、この辺じゃ「イシグサレ」(石腐)って呼んでんだあよ」 

芋窪礫層 古多摩川が運んだ 一般的には60~40万年前とされる
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  地質学が「芋窪礫層」(いもくぼれきそう)と名付けた地層です。
 海がだんだん退く頃、古い多摩川が青梅を出口にして氾濫ぎみに自由に流れたそうです。
 そして運んだのがこの石ころで、それを残して多摩川は南に移動して現在の位置に落ち着いている

 と地理の先生は云います。 

狭山丘陵と同じ地質の丘陵が武蔵野台地を取り囲むようにある
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 東大和市から立川方面に向かうと、砂川九番の先で坂になります。
 それも古い多摩川が削り遺した跡と聞くと、だんだん納得です。でも、
 
 「いつ、どのくらいの年数がかかったんですか?」
 「東大和市では、富士山の灰がその上に積もっていますから・・・」
 「???・・・」
 
 一般的にはミンデル氷期(60~40万年前)に当たるとされます。
 はっきり教えてもらえないのが残念です。
 まだ、まだ研究の最中のようです。
 (2017.09.08.記 文責・安島喜一)