観音堂北側の石造物

観音堂北側に7体の石造物があります。
堂の正面から見て左と右に裏側に回れる細い空地があります。
どちらからでも裏側に回れます。画像は右から回ったところからのものです。

いずれも狭山地域内の他の地域から移されてきました。

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馬頭観音1(天保5・1834年2月)

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 右側面
天下泰平
国土安穏
正面 馬頭観世音 台石 総村中

 左側面
天保五年甲午春二月吉旦(一八三四)
武州多摩郡後ヶ谷村

庚申塔1(元禄11・1698年11月)

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正面右側
奉造立庚申尊像一駆 村中 安全男女 □処本願□□
六臂青面金剛像
上方に瑞雲を付した日・月、下方に二鶏、正面向きの三猿

正面左側
元禄十一戌寅年十一月善日
武州多摩郡内堀村
庚申供養導師宅部山十五世 法印 寂如

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六臂青面金剛像足下の邪鬼(じゃき)三猿も摩耗が激しいですが、当時の祈りの姿を偲ばせます。

村山貯水池の湖底に沈んだ内堀から移されました。摩滅が激しいですがこの彫りから、江戸時代初期の元禄11年(1698)、湖底に沈んだ三光院の住職寂如を導師として、内堀村の善男善女が村中の安全を祈願して造立したことがわかります。狭山丘陵の麓から野火止用水まで武蔵野の原野を一挙に新田開発した頃です。

庚申塔2(明治29・1896年9月)

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右側面  明治廿九丙申九月庚申日  文化九申年生(1812)八十五年森田法蛙 敬書
正面 庚申の文字
 左側面  天保七申年生(1836)願主杉本勘左ヱ門

文字庚申塔で、24歳違いの申(さる)年の森田、杉本の二人が関わって造立しています。村山貯水池に沈んだ杉本地域より移転してきました。

馬頭観音2(明治4・1871年9月吉日)

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右側面 明治四未九月吉日
中央 馬頭観音
左側面 施主 竹内徳左エ門

馬頭観音3(文正5・1822年10月25日)

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正面
文正五壬午(みずのえうま)十月二十五日
馬頭観世音(文字)
後ヶ谷村 由木武兵衛

馬頭観音4(文化10・1813年2月吉日)

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正面
右側 文化十戊寅(つちのえとら)二月吉日
二臂馬頭観音像
左側 竹内清右エ門

馬頭観音5(文化元・1804年2月27日)道標付き

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正面
文化元子(ね)年
馬頭観世音(文字)
二月二十七日 後ヶ谷村

右側面
右 町谷
所沢

左側面
左 山口くわんおん
願主 竹内吉右エ門

(2018.03.25.記)

霊性庵には多くの石造物があります。所在場所別にご案内します。文字をクリックすると記事が出ます。

神社と寺院

霊性庵の石造物1 正面石段付近の石造物
霊性庵の石造物2 正面石段上の石造物
霊性庵の石造物4 墓地右奥

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