三光院

三光院

新青梅街道からの三光院山門
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所在地 清水四丁目1232番地(旧地 村山下貯水池の湖底に沈んだ清水地域)
宗 派 新義真言宗、豊山派。輪王山三光院真福寺 本尊・阿弥陀如来。
狭山三十三観音第十六番、多摩四国八十八ヶ所第三十九番の札所です。
三光院の最寄駅は西武多摩湖線武蔵大和駅です。南に800メートルほど、新青梅街道の北側に位置します。
喧噪の街道を一歩入ると独特の広がりを持つ境内に思わずたたずみます。

三光院境内 クリックで大

初夏には緑が覆いおおい、深呼吸を誘います。
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 広大な境内の周囲が高い木々で囲まれていることもあり、四季を問わず静寂で広々としています。
 東大和20景に選定されています。

 『新編武蔵風土記稿』では、「開山は圓長と云、天永三(1112)壬辰五月三日寂す」とし、東大和市内では最も早い開山となります。
 寺伝では、開山となった快元法印は延文二年(1357)六月一日に入寂、開基の石井美作は延文四年(1359)に没、とします。

 中世寺院としての伝承と共に、天正19年(1591)11月、徳川家康から朱印3石を賜り、以後、全12通の朱印状を保存しています。東大和市内寺院では朱印状を有するただ一つの寺院です。弘法大師千百五十年遠忌に際し、本堂を始め諸堂が改修されました。

山門を入って左側 クリックで大
山の神、本四国八十八ヶ所お砂踏み霊場、金比羅宮がまつられています。

山の神 クリックで大
『狭山之栞』は村山貯水池の湖底に沈んだ清水村地域に、神祠として山王、荒神、稲荷、山神の存在を記録します。
山神はその地から遷されています。

金比羅宮 クリックで大

 

 『狭山之栞』に「地内に在りし金比羅大権現は順孝比丘の勧請にて、文化十癸酉(1813)三月廿四日、天神山へ移し、石段八十階あり。鳥居は文化十一甲戌(1814)九月造立す。維新の際金毘羅神王と改称し、鳥居を除く。本尊佛師は芝口三丁目主馬と呼ぶ者にして地蔵も同人の作也」とあります。
 明治の神仏分離を切り抜けた貴重な金比羅様です。お前立ちに金毘羅大権現像がまつられています。

本四国八十八ヶ所お砂踏み霊場 平成七年八月に開創されました。 
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第一番霊山寺から第八十八番大窪寺まで、各霊場よりのお砂が納められています。
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霊場開創の碑には、「各霊場のお砂を踏めば本四国八十八ケ所霊場の遍路行と同じご利益を戴くことができます」
と刻まれています。
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多摩新四国八十八ヶ所第三十九番札所の御朱印 
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観音堂 狭山三十三観音第十六番札所 
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 窓の格子越しに木造千手観音菩薩座像を拝することができます。詳細は狭山三十三観音第十六番札所三光院をご覧下さい。

新しくなった本堂
弘法大師像 増上寺石灯籠 
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 弘法大師像は昭和54年(1979)檀家から奉納されています。
 石灯籠は正徳2年(1712)10月14日、文昭院殿(六代将軍徳川家宣)尊前に
 今治城主松平氏定、奥州棚倉城主太田氏資から奉献されたものを増上寺から移設したものです。


堂内には本尊の木造阿弥陀如来座像がまつられています。銅造釈迦誕生仏立像も居られます。
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庫裏
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本堂左横に保存されている板碑 クリックで大

 中央大きな「南無阿弥陀仏」板碑は応安2年(1369)の年号が彫られています。
 三光院には徳治元年(1306)を最古、文明7年(1475)を最後として、無紀年を含め、全部で19枚の板碑が保存されています。

門を入ると右側にある鐘楼 クリックで大
初代の鐘は永禄3年(1560)鋳造とされます。
現在の鐘は三代目です。よもやま話に「三光院の鐘」が収録されています。

北側墓地への路 クリックで大
 納経大塔、舟形光背地蔵尊、六地蔵尊、水子地蔵尊に導かれて墓地へ向かいます。


納経大塔(昭和59・1984年)、舟形光背地蔵尊(宝暦13・1763年)、六地蔵尊、水子地蔵尊(昭和57・1982年) 
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新青梅街道を挟んでの南側墓地 クリックで大

 

 

村山貯水池の湖底に沈んだ旧地から遷された個人墓地です。中堂、大日堂、多くの石造物があります。

(2018.05.04.記 文責・安島喜一)

三光院の歴史

東大和市内の寺院と札所

 三光院保存の板碑