厳島神社・弁天社(東京都東大和市蔵敷)

厳島神社・弁天社(東京都東大和市蔵敷)

位置 東大和市蔵敷一丁目367(創建当初から変わりません)
祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・弁財天
創建 永禄12年(1569)内野家伝承、天正6年(1588)小島家伝承、寛永6年(1629)『新編武蔵風土記稿』
   と分かれます。
備考 明治2年(1869)6月に行われた神仏混淆調では「弁天社」と記されます。(『里正日誌』10p411)
   明治3年(1870)蔵敷村から韮山県に提出した報告書では、神社名を「厳島明神」とします。
   その後、厳島神社としました。

参道入り口

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 青梅街道の蔵敷バス停西側に参道があります。画像左前の防火貯水槽の角を北に入ります。
 大正8年(1919)まで、この周辺は弁天池と云われる池になっていました。

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 青梅街道から70~80㍍ほど進むと、狭山丘陵の麓に達し、眼前の丘陵をこの地では弁天山と呼びます。その先端に厳島神社の鳥居があります。
 右に進むと集落で、姥の懐(うばのふところ)の地名が残ります。

東京サンショウウオの貴重な生息地 クリックで大

 弁天山の名の通り周辺は湧き水が豊富で、東京サンショウウオの生息地が保護されています。大正年代までは、この湧き水が麓を流れ、青梅街道脇に清水の涸れることのない弁天池をつくっていました。
 鯉や亀がたくさん居たそうです。そんな池に、ある時、山から大蛇が出てきて子供を呑み込んで大騒ぎになりました。『東大和のよもやまばなし』に「貯水槽になった弁天池」の伝承を残します。
 
石段と社

 石段を登ります。両脇に古木の根が連なっています。「明治4年(1871)社寺調」の書き上げに、

 厳島明神 社地1反6畝(480坪・約1600㎡) 本社など敷地3畝10歩(100坪・約330㎡)
 杉、檜、欖(らん)、松など143本
と多くの木々で囲まれていた記録が残ります。樹種は異なりますが、ほぼ、現在も当時の姿が残されています。石段をあがると正面に社があります。

社は2つあります。奥側の社が厳島神社です。クリックで大
両方の建物の中に木製の社がまつられています。
拝殿と本殿でしょうか、或いは前側の社はかっての弁財天との関係があるのでしょうか、地元の方々に照会しています。
というのは、下記の通り厳島神社はもとは弁財天でした。

 厳島神社に関する地誌類の記録  

『新編武蔵風土記稿』

 弁天社 除地、字弁天山にあり、一尺五寸の小祠にて、二間四方の上屋を設く、寛永六年(1629)鎮座せしといへど、其詳なることを伝へず、

『狭山之栞』

 弁才天女の祠は内野氏宅の乾にあり。昔同氏の創建なりしが天保十四年(1843)再建す。
 維新の際、嚴島大明神と改称す。麓に同氏一家の墓あり。(引墓なり)

とし、弁天社が明治になって、厳島神社となりました。そして、造営と管理について

 明治3年(1870)蔵敷村から韮山県に提出した報告書では、神社名を「厳島明神」とし、
  「厳島明神は熊野大神の摂社、鍵取名主内野杢左衛門持、造営の儀は内野杢左衛門分家十三軒助成」となっています。
 熊野神社の摂社として内野家の管理であったことがわかります。

厳島神社本殿 クリックで大

 さらに、『東大和市史資料編9信仰のすがたと造形』は次のように説明します。

 「厳島神社は、熊野神社近くの蔵敷に位置する。創建は一五六九年といわれ、内野家の伝承によると、かつて私有地に祠を建て奉斉し、天正の検地の際に貢租を免ぜられたと伝わる。宝暦八年(一七五八)に新しく祠を造り替え、以来、内野家の一統の守護神として尊び、天保六年(一八三五)に現存する本殿が建立された。本殿は間口二間半、奥行き二間の大きさであるが、見事な彫刻が施されている。

  一方、小嶋家に伝わる古文書には、創建は天正六年(一五八八)、社殿造営は宝永五年(一七〇八)と記されている。祭神に、水の神として崇められた市杵島姫命を祀るが、農耕の守護神として歓請されたと考えられる。当初は、弁財天と称されていたが、明治時代になってから巌島神社の神号を改め、村社として内野家より移された。大祭は九月十五日に行われる。」(信仰のすがたと造形 p44)

内野家の墓地と姥の懐の集落

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 石段右側に、厳島神社・弁財天の創始者である内野家一族の墓地があります。画像左側の地域には「姥の懐」の地名が残ります。日だまりの風に優しい谷ッの集落です。 
『東大和のよもやまばなし』に「ばばあのふところ」が伝わります。

 (2018.10.24.記)

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