清水庚申神社の庚申塔(東大和市郷土資料)

所在地 東大和市清水3丁目869番地
 高木神社方面からの清戸街道、清水神社方面からの古道が交差する三叉路
東大和市郷土資料 昭和49年(1974)9月20日指定 
 指定理由 近世中期の所領関係がわかる地名が刻まれた庚申塔

高木神社方面からの清戸街道、清水神社方面からの古道が交差する三叉路
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 高木神社方面からの清戸街道、清水神社方面からの古道が交差する三叉路に、現在は庚申神社としてまつられています。
かっては、すぐ傍らに大きなケヤキの木が茂り、水の涸れない深い井戸があったと伝えられます。
旧道を行く旅人達の目印であり、木影と井戸は憩いの場であったことが考えられます。社の扉には草鞋がかけられ、無事を祈願したことが偲ばれます。

2017年1月16日撮影
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 社の中には二体の庚申塔があります。右側の塔は東大和市郷土資料として指定されています。
 庚申塔をまつる際に、塚を築いてその上に建立したとの経緯を刻む貴重な塔です。

左側の塔

2017年1月16日撮影 村山下貯水池の地域から移す。
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 表面が荒れていて、正面の彫像がわずかにたどれます。造立者、年号などは不明です。古い調査(1960年代)で右側面に「山口領宅部村」と刻まれていることが報告されています。

 村山貯水池が建設されるとき、湖底に沈む杉本の地域(杉本家、杉本坂)からこの地に移されたとされます。
 

江戸時代道路略復元図 左側庚申塔旧地、江戸時代道路図
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 江戸時代「宅部村」が存在しましたが、それは隣接する内堀地域で、杉本地域は含まれていません。板碑所在地は後ヶ谷村か上宅部が考えられます。

 或いは内堀地域からの移設も考えられます。旧所在地と村名との関係はこの地域の歴史の謎を残しています。

 

2017年1月16日撮影
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右側の塔 享保13年(1728)

 塔の造立経過を詳しく刻んでいます。
 正面に、青面金剛像、日月、三猿、像の左側に「武州多摩郡山口領 清水村」、同右側に「享保十三戊辰歳九月吉日」
 左側面に
 厚く青面金剛を信仰する村人が、五年間信仰を続け、三十季の結願を迎えたので、香華・燈明を捧げ、擁護を祈り、塚を築いて安置する
 鶴亀の長寿や安楽とともに近隣ならびに四海泰平を願う。(意訳しました)
 
 右側に 大聖山 持寳院 法印慶傅
 台座に 宮奈戸、杉崎、野口、五十嵐、大久保、原、田口、池谷などの名前
 が刻まれています。いずれも、狭山丘陵南麓の清水地域の旧家です。

 この像から、
・60日ごとに廻ってくる庚申の日に、狭山丘陵南麓の清水地域で講を開き、
・5年間継続した。その結願として、享保13年(1728)9月に庚申塔を造立した。
・塚を築き、そこに、塔をまつった。
 ことがわかります。
 これにより、現在は平地に近い庚申神社の場は三角地に塚が築かれ、その上に庚申塔がまつられていたことが辿れます。まさに庚申塔造立、庚申塚築造の由来がわかります。
 東大和市内には奈良橋、蔵敷に庚申塚がありますが、それらの塚の築かれた経緯が類推できます。
 
 (2019.02.26.記 文責・安島喜一)

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