土葬の禁止

 市の歴史について、墓地の説明をすると
・両墓制はいつ頃まで続いていたのか?
・現在のように火葬にして墓地に納めるようになったのはいつか?
 との質問を受けます。

 「両墓制」と言うのは墓地の区域が
・墓石を設けてある「参り墓」と
・遺骸を埋める「埋め墓」とに
 区域を分けて構成されていました。

 かっての墓地は多くが両墓制でしたから墓石をまつる区域と遺骸を土葬する区域が合わさって構成されていました。
 さらに、墓地も墓石も持たない場合は、遺骸を墓地の一隅に土葬によって埋葬して葬祭が行われていました。
  そのため、両墓制でなくても、墓地には墓石のまつられている地域と、埋葬するための平坦な地域がありました。

 この流れを受けて東大和市では、昭和47年(1972)3月31日まで、火葬と土葬が行われていました。
 時代と共に、都市化が進み、生活環境が変わってきて、土葬をなくす政策がとられました。
 その経過が、東大和市報の昭和46年11月1日号に次のように記されています。

土葬禁止のお知らせ
東大和市報の昭和46年11月1日号
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 「東大和市は、ここ数年来、人口も急増し、住宅都市としての形態を整えつつあります。
 このような、都市化の道を歩むこの市でも、現在まだ土葬が行われているところ(四十五年度は十八件)があります。
 この土葬の慣習は、環境衛生上、また風致上からも好ましくなく、都市的環境を悪いものにしています。
 そこで市では、このような弊害をなくすため、土葬禁止をめざし、市民の方との協議を重ねてきました。
 その結果、
・昭和四十四年三月三十一日の自治会長会議で全員賛成、
・昭和四十六年三月二十六日の市議会全員協議会で全員賛成、
・昭和四十六年七月六日の市内所在寺院住職墓地管理者説明会でも賛成を得ました。

 このような状況から、市では本年(昭和四十六年)八月三十日、都に土葬禁止区域指定の要請書を提出し、九月三十一日の東京都墓地埋葬等に関する法律施行細則の一部を改正する規則の公布により、土葬禁止区域の指定を受けました。

 なお、十月七日の同規則の一部改正により、この土葬禁止は昭和四十七年四月一日から実施することになりました。
 なお、土地の状況や特別の理由によりやむを得ず土葬する場合は、墓地の使用者または管理者が、保健所長の許可を受けな
ければならないことになっています。
 くわしいことは、市の衝生課までお問い合わせ下さい。」

 としています。

高木薬師堂墓地 かって中央に薬師堂があり、画像より手前周辺に埋め墓があった。
現在は両墓制について刻む「墓地改修記念碑」があります。
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 土葬が禁止されて以来、かっての埋め場所は整理されて、現在では墓石の立つお墓と変わりました。

  (2019.06.18.記 文責・安島喜一)

  高木薬師堂墓地(両墓制)  狭山霊性庵墓地(両墓制)

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