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かたき討の話(東大和のよもやま話)

天保年間、天候が安定せず、飢饉、物価高が続きました。80%の村人達が飢えて、お互いに融通し合って過ごす中で、行き倒れや捨て子の記録とともに、長脇差や刀を帯びた「無宿」や「渡世人」が渡り歩いたことが伝えられます。 その時、 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 4 荒れる村

1踏んだり蹴ったりお犬様 狭山丘陵周辺の生類憐れみの令 延宝8年(1680)8月、五代将軍に綱吉が就任します。武蔵野開発に力を入れた三代将軍家光の四男です。放漫になりかけていた幕制改革に着手しました。一方で、生類憐れみの …

大まかな歴史の流れ 5 近世 3生産性の低い新田 農間稼ぎ

1 空堀川までが日常生活圏 早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。 しかし、東大和市域内では承応 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 2 玉川上水・野火止用水の開削、細長い村

1玉川上水・野火止用水の開削 江戸市中の整備・家臣団の集住  江戸市中の整備が進むにつれ家臣団が江戸に集住するようになりました。 ・元和2年(1616)、駿府詰めの家臣団が江戸に移住、神田台を開拓、駿河台と称しました。 …

大まかな歴史の流れ 5 近世 1江戸時代初期

1徳川家康の家臣がやって来た 八王子城の落城 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻撃により、戦国大名の後北条氏は滅びます。東大和市の周辺では、6月23日、八王子城が前田利家、上杉景勝の攻撃により落城しました。家臣 …

玉川上水への通船1 江戸時代

明治の3年(1870)から5年(1872)までのわずかな期間でしたが、玉川上水に船を浮かべ物資の運搬が行われました。玉川上水は東大和市のすぐ近くにありながら、直接には接していません。しかし、 ・野火止用水の取り入れ口に近 …

細長い村ができた

玉川上水・野火止用水の開削 承応3年(1654)玉川上水が開削され、次いで、翌承応4年(1655)野火止用水が開削されました。茫漠たる武蔵野の原野に一路の水路が通りました。これを待ち受けていたように、翌年の明暦2年(16 …

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