2018年1月8日 / 最終更新日時 : 2023年7月22日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 2 先史 先史 1旧石器時代 東大和市の地域に人が住み始めたのはいつ頃でしょうか? 現在のところ、約2万年前とされます。というのはその時代の石器が発見されているからです。狩猟と採集の生活の中、獲物を捕らえる貴重な道具であった槍の […] 共有:Tweet
2018年1月7日 / 最終更新日時 : 2023年10月11日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 1 地質 1東大和市は海の中にあった 「その話、本当なんですか?」 最初に返ってくる一言です。 村山貯水池の建設工事の時に発見されたマガキの写真の載る市の資料をお見せして、半信半疑のところへ、 「それも、一カ所じゃないんです。」 […] 共有:Tweet
2017年12月20日 / 最終更新日時 : 2021年6月13日 musashinoaj 8現代 玉川上水への通船4 通船の廃止 1沿岸住民の妨害 玉川上水上流部では、通船の主体者となる村々が沿線を占めていましたが、下流部では関わりが薄く、高井戸、笹塚周辺からは妨害行動が起こされています。通船が開始されて間もなくの明治3年(1870) 5月、次の […] 共有:Tweet
2017年12月14日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj よもやま話 きつねの嫁どり(東大和のよもやま話) 狭山丘陵には多種の動物が棲み着き、人々と共生していたようです。イノシシは害をもたらすものとされていましたが、狐や狸とはユーモアのある交流が語られます。 村山貯水池に沈んだ石川の里(上貯水池の西端)に伝えられるのは「狐 […] 共有:Tweet
2017年12月11日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 玉川上水への通船3 分水口の改正 (水不足が生じてきたか?) 通船の過程で、やがて、東大和市として大きな影響を受ける村山貯水池建設の要因ともなる東京の水不足を伝える出来事が見えてきました。 分水口の改正 玉川上水は江戸市中への飲料水の供給と共に武蔵野の新田開発をした各地へ飲料水や […] 共有:Tweet
2017年12月8日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 玉川上水への通船2 明治の通船開始 明治の通船 1通船願い 江戸時代末期、商人、名主は玉川上水への通船を願い出ました。幕府も砂利運搬計画をもって上水への筏利用を図ります。この時期に明治維新を迎えました。地元の名主は、明治2年(1869)になると名を連ね […] 共有:Tweet
2017年12月5日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 玉川上水への通船1 江戸時代 明治の3年(1870)から5年(1872)までのわずかな期間でしたが、玉川上水に船を浮かべ物資の運搬が行われました。玉川上水は東大和市のすぐ近くにありながら、直接には接していません。しかし、 ・野火止用水の取り入れ口に […] 共有:Tweet
2017年12月3日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 変電所跡 その二 変電所の現状 外部 (東大和指定文化財「市史跡」) 東京瓦斯電気工業(株)、日立航空機(株)立川工場の基本施設が変電所でした。工場の近くまで高圧線で運ばれてきた高圧電流を低圧に変電して工場内に配電する施設です。 昭和20年(1945)2月17日および4月19日、24日 […] 共有:Tweet
2017年12月1日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj つぶやき お目出度う ホームページ一新(東大和市) かねてからの予告のHPはどのように変わるのか!! 2017年12月1日、楽しみに訪ねました。 イントロページが目をひきます。 市の景観や行事、市民が左から右に動きます。 これが、売りのシティプロモーションのイント […] 共有:Tweet
2017年11月30日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 musashinoaj 8現代 1965・昭和40年のまちの姿(大和町時代) 1965年・昭和40年の大和町の姿を伝える資料に『町勢要覧』があります。 「主な施設の位置」として下の図が掲載されていて、その姿が辿れます。 ・当時「大和町」でした。1954年・昭和29年、大和村から町になり、197 […] 共有:Tweet