東大和市蔵敷、北の青梅街道方面から入れば庚申塚を過ぎて間もなく、南の新青梅街道方面から入れば芝中団地の北側にこんもりとした木立があります。桜、欅など幾種類かの樹木が混ざっていますが、一番背が高いのが杉で、話題の三本杉です。
三本杉を巡っては『東大和のよもやま話』で次のように伝えられます。
「芝中団地の北に大きな杉があります。樹令は三百年位ではないかと思われますが、もとは三本あって蔵敷の三本杉といわれていました。
そのうち二本は特別”めおと杉”という位揃っていて根元は一体に近づいていました。高くそびえて小平、砂川七番あたりからも見え方向さだめになりました。その杉も昭和二十五年頃揃った方は上が枯れて切ってしまい、今は一本立っているだけです。
杉のある附近は百年余りも前のことですが調練場があり、農兵が農事のあい間に軍事訓練を行っていた所です。杉の下には三十坪位の塚があり、石で出来た山王様がありました。
原にあるこの塚は三角形をしていて、お年寄りが三方に腰をかけながら一休みする所でもありました。ここで凧あげをしたともいいます。大人は畳二枚位の大凧をあげた人もいました。この塚には蛇がたくさんいて蛇塚という人もあります。
団地が棟を並べ商店街がひらけて杉と山王様は三角地の網の中に整備され、杉にまつわる因縁話も昔の面影もそこ一角にとぢこめられてしまいました。」(東大和のよもやまばなしp145~146)
三本杉ノ前の道は江戸時代中藤村(武蔵村山市)から、塚の前を通り、奈良橋庚申塚(東大和市)を経て江戸へ向かう広域道路でした。芋窪の四街道(よつかいどう)には馬頭観音がまつられています。また、横の道は一部が廃道になっていますが、かっての八王子道に達する蔵敷村の主要な道路でした。
三本杉の根元には山王様がまつられています。蔵敷の人々にとっては村はずれにあって外敵侵入を阻止する願いが籠められていた所と思われます。ここで、敵討ちが行われたこともありました。また、周辺には、幕末に活躍した農兵の調練場がありました。何度か開発される話も出ました。どうにか、現在の姿で残されました。
(2015.09.29.記)
「三本杉のカラス」「かたき討ちの話」「農兵調練場跡」
- 投稿タグ
- eco-museum