モニュメント24
 東大和市立郷土博物館の東南の角、入り口階段の左外に「いのしし」のモニュメントがあります。
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 設置日:平成7年3月
 材質:黒御影石
 サイズ:H1900×W1300×D700センチメートル
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 (作品紹介)
 狭山丘陵は昔、いのししに多くの農作物や墓地が荒らされて、村の人達はたいそう困ったそうです。蔵敷には、次のような話しが伝わっています。
 昔、御岳神社と奈良橋の八幡様の間の谷を「千光谷ツ」といい、そこに千光坊というお堂がありました。かたわらに墓地があって埋葬のたびに、山をこえていのししが来て掘り返してしまうので、困った人達はいのししの通り道に穴を掘って、その害を防いだと伝えられています。
 これは『東大和のよもやま話』の「しし穴の話」の一部によっています。この周辺には余ほどイノシシや鹿がいたらしく
 ・寛文9年(1669)11月、尾張藩鷹狩り、奈良橋村では鹿72,狐1、兎4を仕留めた。
 ・安永4年(1775) 5月13日、久米川村から瑞穂町まで 狭山丘陵で大がかりな猪狩りを実施。
 ・安政6年(1859)1月「鷹場内の猪鹿追い散らし願い」を提出して許可を得る。
 など、江戸初期から幕末に至るまでシシや鹿狩りの話題が伝わります。作物にも影響を与え、また、作品紹介にある千光谷ツの墓地は原の中程に移転しています。それらのことは、別に書きます。
いのしし600
 モニュメントは、それらのこととは関係のないように、ヒョウキンに寝くさっているので、地域の人々はもとより郷土博物館に来る人々に愛されています。
(2015.10.07.記)