江戸時代の人口動態を示す貴重な資料が大和町史研究にあります。
最低198人、最高262人、おおむね210人代後半~230人を行き来する蔵敷村(減・東大和市)の宗門人別帳による動きです。
(出典 大和町史研究1p55)
東大和市蔵敷の内野家に伝わる宗門人別帳の記録です。
文化2年(1805)には、病死が1、婿入りが2、出生が9、差し引き10人の増。
文化15年(1818)には、病死が2、お嫁さんに他村に行った娘が1人、出生1人で、差し引き2人の減。
文政7年(1824)には、病死が2、嫁婿縁組みで2名の増、出生なしで、差し引き増減なし。
出生無しは文政8年、9年と続きます。
・江戸時代の村の人口は、病死、縁組、出生が密接に関係していることが読み取れます。
・村高に人口がほぼ一致すると云われるとおり、蔵敷村は215石の村でした。
・しかし、出生無しは気にかかります。
文政6年(1823)には、幕府から倹約令、文政7年(1824)には盗賊警戒令などが出されていますが、特に、飢饉の状況などは伝えられません。時代が遡りますが、宝暦14年(1764)の人別帳の後書きに「五歳以上を書き上げ」とありますので、その習慣が戻ったことも考えられます。
いずれにしても、貴重な資料ですが、実態がわからなくて困ります。(2016.05.31.記)
- 投稿タグ
- eco-museum