近世
『新編武蔵風土記稿』に描かれた東大和の村々
江戸時代末、東大和市の村々はどのような姿をしていたのか? 幸い、1800年代初め、幕府の手によってまとめられた資料があります。 『新編武蔵風土記稿』(多摩関係は文政5年・1822) 『武蔵名勝図会』(文政6年・18 …
江戸時代の村の人口動態
江戸時代の人口動態を示す貴重な資料が大和町史研究にあります。 最低198人、最高262人、おおむね210人代後半~230人を行き来する蔵敷村(減・東大和市)の宗門人別帳による動きです。 (出典 大和町史研究1p55) …
おんじー!?
東大和市の現・狭山地域が後ヶ谷村(うしろがやむら)と呼ばれていた江戸時代の話です。 杉本家に伝わる貴重な古文書に宗門帳があり、当時の家族構成がわかります。 (出典 大和町史研究10p71) 宝永4年(1707) …