東大和市のまちかど歴史などについて投稿をお待ちしています
新着記事

1東大和のよもやま話

血取り

 5月になると狭山丘陵はツツジの花で埋まったと伝えられます。東大和市はツツジを市の花としています。それが、現在は東の地域では余り見かけなくなりました。それだけに、芋窪の鹿島台の花は貴重です。  このツツジを巡って、東大和 …

豊鹿島神社の要石3(『東大和のよもやまばなし』)

 芋窪通り、蓮花寺に隣接してこんもりした木々の間に豊鹿島神社の要石はまつられています。  鳥居をくぐりフエンスの前に進むと祠とその前に表面的には一抱えほどの石が目に入ります。地元では「鹿島様の要石」として親しまれます。 …

鹿島様の欅

(クリックで大)  青梅街道から豊鹿島神社の表参道を進むと左側に大きな欅が目に入ります。 (クリックで大)  手前にモニュメント「ふくろう」があり、その向こうに太い枯れた空洞の幹があります。  尾﨑荘助氏は『大和村史稿』 …

行人塚(ぎょうにんづか)

 東大和市に残る姨捨山伝承です。  村山貯水池に沈んだ地域に伝わりました。二つ池から北の方角になります。谷ッが大きく入り込んだ高台を大筋端と呼びました。現在、湖畔一丁目に大筋端公園として小字名が残されています。その北側、 …

仁王さまと名物だんご

 ジカウイルス問題が浮上し、インフルエンザ・風邪がはやり、早くも花粉情報が気になる季節になりました。かって、東大和市周辺で流行ったのが「はしか」でした。  身近に医師が少なく、ほとんど病院がなかった頃です。はしかは命取り …

たっちゃん池

 西武多摩湖線・武蔵大和駅を降りて、村山下貯水池の堰堤に向かうと、すぐに、都立狭山公園があります。公園の中の道を進むと右側に池が見えてきます。 (クリックで大)  東大和市では「たっちゃん池」、東村山市では「宅部池」(や …

娘っこに化けた狐

 昭和13年(1938)のことです。狭山丘陵の南麓に旧来からの集落が営まれ、南はすべて畑でした。人家は一軒もなく、冬の夜など漆黒の原野が広まっていました。そこに、東京ガス電気工業(株)が進出して昼夜にわたる突貫工事が進め …

しし穴の話 

しし穴の話 (東大和のよもやま話)  タヌキやキツネは化かされたり化けたりして里人と交流します。ところが、いのししは少し違ったようです。『東大和のよもやま話』は次のように語り出します。 モニュメント・いのしし(郷土博物館 …

川端稲荷大明神

 青梅街道・奈良橋の交差点を少し西に、東大和市立郷土博物館への道を入ると左側に稲荷さん様が目に入ってきます。  江戸幕府が開かれる前のこと、家康は早々(1591~92年) と狭山丘陵周辺に直属の家臣を配属して来ました。お …

三本杉

   東大和市蔵敷、北の青梅街道方面から入れば庚申塚を過ぎて間もなく、南の新青梅街道方面から入れば芝中団地の北側にこんもりとした木立があります。桜、欅など幾種類かの樹木が混ざっていますが、一番背が高いのが杉で、話題の三本 …

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