市の南部、当時は一軒の家もない畑の広がる武蔵野台地に、突如、出来たまちです。
昭和12年(1937)から13年にかけて
飛行機のエンジンを作る東京ガス電機工業(株)が大森から移転してきました。
工場群と社宅・福利厚生施設群が一帯となって建設されました。
狭山丘陵沿いの旧村からはモダンでハイカラな「南にできた街」とうつり、そのまま町名となりました。
一丁目から六丁目に分かれます。
南街の話題
・東京瓦斯電機工業(株)の立地(社宅・厚生域)
変電所跡(平和広場)
当時の姿を残す社宅
・青梅街道、桜街道(第二の江戸街道)、バス停・ガス電通り、富士見通り
・地域防災計画
・新海道公園、栄公園、末広公園、協和公園、協和子ども広場、山王公園
・モニュメント
鳥と子ども達 へびのステッキ
・よもやまばなし
山うなぎの蒲焼きとステッキ、南街のブラスバンド、賛報会館と映画館
日立だんなと日立乞食、娘っこに化けた狐