狭山丘陵の南麓、市域の中央に位置します。
古い村で、道、神社・お寺、言い伝え、など、「集落」「村」「町」の要素のほとんどが残されています。
なぜ、奈良橋なのか、その名前の由来は諸説入り交じり、不明です。
豊鹿島神社本殿の創建棟札(文正元年・1466)に「武州多摩郡上奈良橋郷」の記録があります。
芋窪から高木までを包括し、古くから使われてきたことが伝えられます。
一丁目から六丁目に分かれます。
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奈良橋一丁目(八幡谷ッに開けた集落)
奈良橋二丁目(諏訪山からの富士山)
奈良橋三丁目(東大和市地盤沈下観測所 第一中学校裏)
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この地盤観測所の中に地下92、175、260メートルの井戸があり、地盤沈下、地下水の状況を観測しています。
その井戸を掘る過程で、地下の様子が解明されアサリなどの化石が発見されています。
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奈良橋四丁目(東大和市立第一小学校 東大和市が明治初年以来設置した最初の小学校)
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奈良橋五丁目(空堀川の旧河川と改修河川の交差 手前横切るのが旧河川)
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奈良橋六丁目(新青梅街道庚申塚付近 江戸時代からの交通の要所)