高木神社の神木に松や杉の大木があり、
府中や青梅、田無あたりからも見えたことから「高木」とされたとしますが明確ではありません。
江戸幕府が編纂した資料では「郷庄の唱を伝えず、」(新編武蔵風土記稿)としています。
志木街道沿いに形成された親村が野火止用水付近まで新田開発をしました。
細く長い村が町名地番整理により新青梅街道で区切られました。
明治初年には連合戸長役場が置かれ、構成していた6っの村の政争の激しい中心点になりました。
住宅地化が進む中で狭山茶の育成が行われています。
一丁目から三丁目に分かれます。
高木一丁目(志木街道沿いの家並み)
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高木二丁目(連合戸長役場跡 明治初年の村の中心)
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高木三丁目(奈良橋川と空堀川合流付近)