桜が丘編4(その1)
コース
東大和市駅前交差点~青梅橋跡
合流点からは共に東大和市駅南口へと向かいます。
昭和51年(1976)、道路高架の計画は変更されて、現在の西武拝島線が上に上がる鉄道高架になりました。
もし、道路高架になっていたら、この周辺はどのような景観になったのでしょう?
東大和市駅前広場の全景です。手前が青梅街道で、右側のバスが走っている道路がコース2の桜街道です。
現在の桜街道は東大和市駅から離れていますが、図のように、昭和初期までは、駅広を横切って高架下に直結していました。
また、東大和市駅の前身である「青梅橋駅」が駅広の中にありました。
高架の近くに「笠森稲荷」がまつられていました。このことは青梅橋編に譲ります。
鉄道敷の高架化が進む頃の同じ場所の姿です(昭和52年(1977)7月2日)。
右側の奥に見える駅は青梅橋駅(東大和市駅の前身)でした。
高架は昭和55年(1980)7月に完成して、現在の姿になりました。
正面に西武鉄道拝島線の高架が見えます。高架になる以前は線路が青梅街道と平面交差で、踏切がありました。
ウオーキングマップ桜が丘編コースは西武鉄道拝島線の高架をくぐって右へ曲がります。
この地点に、かって、野火止用水が流れ、「青梅橋」が架かっていました。
コースは、東大和市駅南口を経て、暗渠となった野火止用水の上の遊歩道を玉川上水駅まで進みます。
東大和市駅広は小さなたまり場となっています。かっては、ここに野火止用水が流れていました。
ガードパイプ間の道路は東大和市域です。
左側の芝生の箇所は野火止用水の流れがあったところで、中央が東大和市と小平市の行政界になっています。
(東大和市民ネット しんかい船47号の旅 野火止用水 記)
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