芝中団地南~旧道~八幡通~旧道~青梅街道へのコースです。画像はいずれも クリックで大きくなります。
新コースは直進し、今回はこの地点で右に曲がります。
芝中団地の南端を進みます。 芝中団地は 東京都住宅供給公社による鉄筋コンクリート造り、23棟 、5階、 986戸の集合住宅団地です。昭和 45~46年に入居が開始されました。
最初は空堀川にそって歩みますが、 次第に空堀川との距離を置くようになります。
団地の広場が見え、前方に横断歩道の標識が目に入るところの右をご注意下さい。
下り坂の道があります。下ると「山王橋」に出て、新青梅街道に達します。北側は団地内に取り込まれています。
この道は下図(昭和33年大和町図)の通り、中世からの道で蔵敷村からやがて訪ねる三本杉・山王様、蔵敷庚申塚を経由して八王子道に達していました。
また、下り坂では、空堀川が台地を削った河川段丘を見ることができます。元に戻って団地の南端の道を進みます。
八幡通に突き当たり、左に曲がります。
左側の芝中団地が「蔵敷」で右側は「奈良橋」になります。八幡通は地元では鎌倉街道との伝承があり、府中市に奈良橋道があります。中世にはその地点に通じていたものと思われます。
この交差点の地点で道路を横断します。現在では細い生活道路になっていますが、江戸時代には、奈良橋庚申塚から武蔵村山市中藤に達する広域の道であった箇所です。中藤村や芋窪村、蔵敷村の村人たちが江戸へと馬で荷物を運んだ道でした。
左、三本杉(農兵調練場跡)を経て武蔵村山市中藤方面、途中の芋窪四街道には当時の馬頭観音がまつられています。
右は奈良橋庚申塚方面、江戸街道(現新青梅街道)に出ます。奈良橋庚申塚にまつられていた馬頭観音、庚申塔などは雲性寺に移されています。この旧道に接続して、下図のようにもう一つの旧道があります。
すぐ間近に、上画像の左に入るもう一つの旧道があります。現在では八幡通の道幅が広がったため、別々の道路に見えますが下図の通り昭和33年(1958)には同じ箇所で交差していました。 この道は蔵敷庚申塚を経て武蔵村山市中藤に達していました。
江戸時代の名残を残す旧道です。機会を見つけて散歩道の一つに加えて下さい。
八幡通を北上します。
青梅街道との交差部に出ます。北進すると雲性寺、八幡神社、郷土博物館に達します。
郷土博物館編 旧コース はじめに戻る
東大和 市民ネットへ戻る
- 投稿タグ
- aruku