狭山丘陵を歩くと、小さなお宮に出会うことがあります。多くが、屋敷神として個人のお宅でおまつりしていますが、東大和市の蔵敷地区(熊野神社、太子堂などの裏)に、村中でまつった三つの小さな祠があります。その一つの神の名が不明でしたが、今回わかりました。その報告です。
愛宕社・山の神社

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 画像の左側部分が丘陵南麓です。麓に民家が連なり、ぐっと青梅街道(村山道)へと下ります。その尾根筋の日だまりに、愛宕社(向かって左)と山の神社(右)が並んで居られます。村人達の生活を見守るようで、「よくもこんなに良い場所に」と感嘆してしまいます。

蔵敷愛宕社(クリックで大)

 切妻屋根
右横 明治11年戌寅秋社日
正面 愛宕大神
左横 武藏国多摩郡蔵敷村共立
と彫られています。明治11年=1878

愛宕社は火の神である軻遇突智神(かぐつちのかみ)、または火産霊神(ほむすびのかみ) を祭神とします。

蔵敷山の神社 (クリックで大)

 山神社(地元では山王社とも呼ぶ)

右横 天保三壬辰年
正月吉祥日
左横 蔵敷邑
願主 内野杢左衛門重泰
と彫られています。天保3年=1832

山王社は大山咋命(おおやまくいのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)を祭神としています。山を守り農耕(治水)を司る神で、山の神は、農耕(治水、災害防止、豊作)を司る神とされます。
浅間社1 (1)

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 他の一社は少し離れた、同じように麓が見下ろせる場所です。
祠は画像右側の竹藪の手前にあります。

浅間社2 (クリックで大)

 しめ縄を張ってまつられています。よく拝見すると、お賽銭が上げられています。

浅間社3

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 さて、この祠にまつられている神様は?
名前も年代も彫りがありません。
江戸時代末の地誌『新編武蔵風土記稿』、地元の記録『狭山之栞』には記録がありません。
市の『生活文化財調査概要報告書』にも掲載されず、長い間不明でした。

 ところが、2016年2月23日、偶然、蔵敷に昔からお住まいの方と話す機会があり
地元では「浅間様」としておまつりしていることがわかりました。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)から豊かな子宝、父神・大山祇神(おおやまづみのかみ)、姉神・磐長姫命(いわながひめ)から天候安定、豊作を祈ったことがわかります。
身近な神々に、改めて丘陵と麓の生活の安定を祈った村人達の姿が重なって浮かんできます。
ようよう名前がわかって、この地に三つ揃った神々のご報告です。(2016.02.26.記)

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