豊鹿島神社の「奥の宮」は現社殿から約400メートルほど北の狭山丘陵の頂きにあります。
現社殿の正面右横から石段を登って境内社の間を進みます。
裏山に続くように鹿島台遺跡があります。
旧石器から縄文時代にかけての遺跡で、縄文時代には使用した土器や住居の跡が発掘されています。
この周辺からの展望は遙かに多摩丘陵を望み、その間を古多摩川が移動して武蔵野台地を形成した様を眼前に見る事ができます。
多摩湖自転車道橋の際の階段を登ります。
多摩湖自転車道に沿って一段と高いところがあり、豊鹿島神社の「奥の宮」跡です。
奥の宮の跡は鹿島台にあります。
多摩ロームの地層が露頭する箇所で、古多摩川が狭山丘陵を削り残した上に積もった火山灰とされます。
同じロームが多摩丘陵にもあり、先に記した古多摩川の移動を地質の面から物語ります。
この地は、村山貯水池に沈んだ石川の地からも拝され、石川には先史、古代からの遺跡が沈み、伝承が伝わります。
奥の宮がどのように、いつ頃まで建てられていたのかは不明です。
現・本社殿の修理の際、基壇の発掘調査が行われ、年代は確定されませんでしたが、本殿創建(文正元年・1466)以前の柱跡などが発見されています。また、社殿から南へ約500メートルほどに豊鹿島神社の要石がまつられています。それらと併せて、奥の宮についても全容が明らかになるのが待ち遠しいです。(2016.04.10.記)
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