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 祭神 武御加豆智命(たけみかづちのみこと)
東大和市内で最も古い創建の伝承(慶雲4・707年) を持ちます。
 現在の本殿は、文正元年(1466)の創建棟札を残し、東京都内で最古の室町神社建築物です。
 東京都有形文化財(建造物)に指定されています。
豊鹿島神社参道周辺800
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 東大和市の北西部・芋窪一丁目、青梅街道から狭山丘陵に向かって表参道があります。
 長い参道の脇には、維新の象徴「郷社 豊鹿島神社」の石碑、自由民権運動の集会が開催された跡、大欅、モニュメント「ふくろう」など、話題性がある事柄が並びます。
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 参道正面の石段(男坂)を登ると、地元で「かしま様」と親しまれる社(やしろ)が、がっしり鎮座しています。
 江戸時代には朱印十三石が給せられました。手前から、拝殿・弊殿・本殿で構成され、中には祭神、本殿の様式、棟札、狛犬、獅子頭・・・など歴史の豊かさを示唆する事柄がいっぱいに詰まっています。
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拝殿からは本殿を拝することができます。
(2014年9月27日 撮影許可を受ける)
豊鹿島神社裏
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 社殿の北側には、八社の境内末社が祀られ、さらに、二社の境外摂社によって全体が構成されています。
 地域的には、下図の通り、南に要石、北に奥の宮を構え、狭山丘陵と武蔵野の原を包み込む神社であることがわかります。
 豊鹿島神社石川里
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豊鹿島神社はいつ創建されたのでしょう
 神社に置かれたパンフレットは、次のように沿革を記します。
 豊鹿島神社沿革 (クリックで大)
 『武蔵名称図絵』『新編武蔵風土記稿』の記載の詳細についてはページを改めます。
 本殿に関して五枚の棟札を有しますが、本殿の創建に関わる「文正元年(1466)十月三日の棟札」について概略を紹介します。
 豊鹿島神社棟札
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   創建棟札は二枚在ります。
○左は『武蔵名称図絵』記載の文正元年棟札です。
 豊鹿島神社の神官宅に保管されている「写しの棟札」を記したものと考えられます。
○右は平成5年(1993)本殿改修工事の際に発見された、棟に実際に和釘で留められていたものの表部分の内容です。
 この二者の基本的違いは新たに発見された棟札が実物であると同時に「武州多東郡上奈良橋郷」の記載があることです。
武州多東郡「上奈良橋郷」
 従前から考えられていた狭山丘陵の中世の郷は下図の通りで、南麓には村山郷と宅部郷とされ、「奈良橋郷」は想定されていませんでした。今回の解体修理で、当時の鹿島大明神は「上奈良橋郷」に建設され、「上奈良橋郷」という郷が存在していたことを明らかにしました。
 奈良橋郷 (クリックで大)
 奈良橋郷は、東大和市以外ではほとんど知られていません。これからの解明がまたれています。
 豊鹿島神社を語るときは、この問題を抜きにできません。
 ブログという制約もあります。いったんここで区切って、ページを改めたいと思います。
 拝殿での説明
 魅力的な神社内部の拝観は団体で事前に神社側に申し込めば可能性があります。画像は2014年9月27日、東大和市観光ガイドの会が拝観をお願いしたときのものです。当日、石井神主さんから本殿の懇切なご説明、ご案内を頂きました。
(2016.03.25.記)