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東大和市の歴史

豊鹿島神社 創建伝承と江戸時代の地誌

 豊鹿島神社の創建について、神社パンフレットは江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』と『武蔵名勝図会』記載の社伝を引用しています。その原文は次の通りです。 (クリックで大) 左 雄山閣版『新編武蔵風土記稿』 右『武蔵名勝図会 …

豊鹿島神社

(クリックで大)  祭神 武御加豆智命(たけみかづちのみこと) 東大和市内で最も古い創建の伝承(慶雲4・707年) を持ちます。  現在の本殿は、文正元年(1466)の創建棟札を残し、東京都内で最古の室町神社建築物です。 …

東大和市は海の中にあった

 こうお話しても、たいてい「ウソだ―」と疑いの視線が帰ってきます。  でも、東大和市の歴史に関する説明はそこから始まります。  (クリックで大)  左は『東大和市史資料編2多摩湖の原風景』の扉、村山貯水池建設の際に、現在 …

地頭の乱行と箱訴

 「泣く子も黙る地頭」の言葉は、江戸末期の多摩郡でも生きていました。東大和市では清水村が渦中にあり、その概要が記録に残されています。明治維新の50年前、地頭支配の状況が垣間見えますので紹介します。  文政2年(1819) …

村山貯水池の建設計画

村山下貯水池  多くの人々の憩いの場となり、貴重な空間と水環境を作り出している村山貯水池。  その建設は、東大和市にとって現在にまで影響を及ぼす大きな出来事でした。山口貯水池の建設と併せると、狭山丘陵周辺の村々に共通する …

東京ガス電気工業(株)の進出

 昭和12年(1937)、当時の大和村南部に工場進出の話題が持ち上がります。下図のように人家は全くなく、一面に畑が続いていました。玉川上水から野火止用水が分水される村の南端です。野火止用水の縁をこんもりと松林が囲んでいま …

南町(みなみまち)の出現

(東京ガス電気工業(株)の工場と社員施設の建設)  鉄道関係の駅がない、人家も一つもない畑の中に工場の建設は突貫工事で行われました。 工場の突貫工事  ・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成 10月、工場 …

米軍大和基地の碑

 西武拝島線玉川上水駅を北口に降りると正面に駅前広場があります。  駅広は、バス停、車道と島の広場で構成されています。米軍大和基地の碑は画像の横断歩道を渡って左に進むと設置されています。  かって、この地は有刺鉄柵で囲ま …

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