現存軍需工場の給水塔

軍需工場で使われていた給水塔が立川市内に残っている。
場所は、旧立川飛行機(現 立飛ホールディングス)敷地内。
現在も完全な形で2基建っている。
2基の間は、直線距離で約500m、モノレールの軌道を挟んで北と南にある。
今回見学したのは、多摩モノレール高松町駅近く、南エリアにある給水塔である。
モノレール車内や駅からも見えるのでご存じの方も多いと思う。

かつて東大和市にあった、旧日立航空機の給水塔と比較しながら見学した。
給水塔が建築されたのは昭和13(1938)年、旧日立航空機は昭和15年なので、
ほゞ同時期である。
構造は四階建てで、円筒形の直径が大きく、一見筒形のビルのようである。
旧日立航空機の煙突状の形状とは様相が全く異なる
写真のように、各階に、窓がある。窓には鉄製のサッシが入り、
パテでガラスを止めている。

鉄製サッシの窓

一階部分は半径約4.2m 部屋の面積は約55㎡、上階に行くほど細くなり、
4階部分は半径約3.5m 面積は約38㎡ある。
塔の内部には外壁沿いに螺旋階段が設けられている。

螺旋階段

各階の窓からは光が十分に入るので、床面積がこれだけの広ければ、
様々な利用が可能と思うが、当時は何に使われていたか不明である。
高さは公表されていないので目測になるが、15m程度であろう。
旧日立航空機は25mなので、これに比べて低いが、最上部(4階の上)にある
50t水槽の水を各工場に配水するのには十分な高さなのだろう。
昭和20(1845)年の米軍空襲での爆弾投下による爆風や機銃掃射にも耐え、
更に東日本大震災でも倒壊することなかった。
建設当時は、まだ鉄筋コンクリートの技術は日が浅いので、
基本に忠実な作業で造られたのだろう。
旧日立航空機の給水塔も、太い鉄筋と玉砂利が十分に使われている
驚いたことに、この給水塔は、平成17(2005)年頃まで使用され、
南エリア全体に水を供給していた。
旧日立航空機の給水塔は、私有地であったことや、耐震上危険との判断で、
平成13(2001)年に取り壊された。。
更に、不思議に思うのは、給水塔の外観には損傷が見あたらない。
あっても、補修で隠せる程度の弾痕だったのか。
また、旧立川飛行機工場内には格納庫として使われた大型建物も残っており、
倉庫として使用しているようだ。
一方、旧日立航空機の大型建物は米軍空襲で全壊している。
旧立川飛行機(立川市)と旧日立航空機(東大和市)との距離は直線にして
3㎞弱である。
爆撃の被害がこれほど違のはなせだろう?
期会があれば調べてみたい。
旧日立航空機は、軍用飛行機のエンジンを製造していた。
昭和20年に計3回の大きな米軍空襲で、ほとんどの建物が、壊滅的な打撃を受け、
まったく形をとどめなくなるほど破壊された。

奇跡的に残った変電所と給水塔も外壁に機銃掃射や爆弾の破片による無数の穴ができた。
旧日立航空機の変電所は現在も無数の弾痕跡をものしたまま保存・公開している。
外観見学は自由、内部公開は、原則毎週第2日曜日午後に見学できる。
場所、時間、その他問合せは、東大和市立郷土博物館に。https://www.city.higashiyamato.lg.jp/index.cfm/35,0,366,html