ルート図番号入4
   青梅街道~陣屋稲荷~雲性寺~八幡神社~郷土博物館へのコースです。寄り道し放題の史跡が詰まっています。画像はすべてクリックすると大きくなります。

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 青梅街道を渡る右角に八幡神社宮司のお宅があります。青梅街道側から庭を拝見すると蔵と並んで見えるのが修験の道場です。明治維新まで八幡宮は別当として本山修験の「八幡山覚寳院」が管理していました。その遙拝所であり、研鑽の道場が設けられていました。

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 少し進むと左側に稲荷社が見えて来ます。川端稲荷、勘兵衛稲荷、地頭稲荷と呼ばれます。この地域には江戸初期に徳川家康の直属の家臣である石川氏が配属されて来て奈良橋村を治めていました。地元では地頭と呼ばれました。その陣屋があり、代々の名主であった岸勘兵衛の屋敷があって、おまつりしていた稲荷社です。 よもやま話・川端稲荷へ 川端稲荷2

 奈良橋村の絵図です。蔵敷村区域が一緒になっているので、蔵敷村が独立する 正徳年間(1711~15)以前の姿であることが想定できます。鎌倉街道と伝えられる道の両脇に狭山丘陵南麓の谷をはさんで八幡神社と雲性寺が並びます。  

74八幡通と市道566号線交差

  直進すると八幡宮、郷土博物館方面、右に曲がると雲性寺に向かいます。

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  真言宗豊山派 天王山観音院雲性寺 、寺域内墓地に石川地頭の墓、前庭に奈良橋庚申塚にまつられていた庚申塔、馬頭観音などの石造物がまつられています。
 東やまと20景・雲性寺へ

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81郷土博物館

 雲性寺から戻って直進すると左角に市立郷土博物館があり、さらに北進すると奈良橋村の鎮守・八幡神社です。

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 八幡神社は創建年代を明らかにしませんが、中世からの伝承を持ちます。境内には旧石器時代の石器が発見され、縄文時代の遺跡が発掘されています。東やまと20景・八幡神社へ

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  東大和市立郷土博物館の全景です。左側にプラネタリュウムを併設しています。天の川の星を細かく表現することが可能となった「メガスターⅡB」が設置されています。東京のプラネタリウム館としては初めてとされます。

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  角にモニュメント・ 「いのしし 」が置かれています。 狭山丘陵にイノシシや鹿が沢山いた頃のよもやま話が伝わります。モニュメント・いのししへ

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