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地頭の乱行と箱訴

 「泣く子も黙る地頭」の言葉は、江戸末期の多摩郡でも生きていました。東大和市では清水村が渦中にあり、その概要が記録に残されています。明治維新の50年前、地頭支配の状況が垣間見えますので紹介します。  文政2年(1819) …

雹(ひょう)の話

 何となく天候異変が気になります。何億年かの周期で起こる地球の宿命か?そんなことはない、お前様たち人類が原因なのさ、と云われているようで気詰まりです。案外、当たっているのかも知れません。  それはともかく、まあ、聞いて下 …

でいだらの井戸

 「これって、誰?」 「ヤー、お久しぶり・・・」 思わずビックリする像ですが、「大多羅法師」(だいだらほうし)「デエダラボッチ」「だいだらぼっち」の巨大な頭部です。このユーモラスな巨人法師が狭山丘陵の丸山・向山をつくり、 …

村山貯水池の建設計画

村山下貯水池  多くの人々の憩いの場となり、貴重な空間と水環境を作り出している村山貯水池。  その建設は、東大和市にとって現在にまで影響を及ぼす大きな出来事でした。山口貯水池の建設と併せると、狭山丘陵周辺の村々に共通する …

娘っこに化けた狐

 昭和13年(1938)のことです。狭山丘陵の南麓に旧来からの集落が営まれ、南はすべて畑でした。人家は一軒もなく、冬の夜など漆黒の原野が広まっていました。そこに、東京ガス電気工業(株)が進出して昼夜にわたる突貫工事が進め …

東京ガス電気工業(株)の進出

 昭和12年(1937)、当時の大和村南部に工場進出の話題が持ち上がります。下図のように人家は全くなく、一面に畑が続いていました。玉川上水から野火止用水が分水される村の南端です。野火止用水の縁をこんもりと松林が囲んでいま …

南町(みなみまち)の出現

(東京ガス電気工業(株)の工場と社員施設の建設)  鉄道関係の駅がない、人家も一つもない畑の中に工場の建設は突貫工事で行われました。 工場の突貫工事  ・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・給水塔完成 10月、工場 …

米軍大和基地の碑

 西武拝島線玉川上水駅を北口に降りると正面に駅前広場があります。  駅広は、バス停、車道と島の広場で構成されています。米軍大和基地の碑は画像の横断歩道を渡って左に進むと設置されています。  かって、この地は有刺鉄柵で囲ま …

しし穴の話 

しし穴の話 (東大和のよもやま話)  タヌキやキツネは化かされたり化けたりして里人と交流します。ところが、いのししは少し違ったようです。『東大和のよもやま話』は次のように語り出します。 モニュメント・いのしし(郷土博物館 …

いのしし 

 モニュメント24  東大和市立郷土博物館の東南の角、入り口階段の左外に「いのしし」のモニュメントがあります。  設置日:平成7年3月  材質:黒御影石  サイズ:H1900×W1300×D700センチメートル  (作品 …

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