略年譜

1地質
・東大和市は海の中(200~50万年前)

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マガキ
村山下貯水池堰堤工事中に発見されたカキ
・古多摩川が砂利を運んで来て積もった=芋窪礫層
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蔵敷熊野神社本殿付近で見られる芋窪礫層
古多摩川が運んで来て、狭山丘陵のもとになっている
・富士山が噴火する前の小御岳火山の噴火灰が積もった=多摩ローム層=狭山丘陵の上部
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芋窪鹿島台に露出してよく見える 多摩ローム
2先史
・旧石器人は空堀川河畔でキャンプ。
・縄文時代、狭山丘陵の峰々は縄文銀座と云われるくらい賑わった。
・弥生時代、残念ながら遺跡は見つかっていない。
3古代
・谷ッに水田を営む集団が定着。
・豊鹿島神社に創建伝承。
4中世
(1)鎌倉時代
・狭山丘陵の峰に板碑、浄土教の世界が広まった。
・丘陵の谷ッに散住、郷村を形成、神社、お寺の創建が伝わる。
(2)室町・戦国時代
・武蔵野の戦乱の影響を受けながら、村人達は生活の基盤を定着。
・後北条氏の支配下に入り、八王子城と繋がり。
5近世(安土桃山、江戸時代)
 ・徳川家康が関東に入府。直後に直属家臣が配属されてきた。
 ・村切りによる近世の村が成立。
 ・玉川上水・野火止用水の開削。
  武蔵野台地は新田開発による畑作地と激変した。
 ・村人たちは野火止用水際まで一挙に新田開発を進めた。
  縦に細長い村が成立。
狭山丘陵の麓を親村として、1600年代末までには野火止用水際まで新田開発をして細長い村ができた(クリックで大)

狭山丘陵の麓を親村として、1600年代末までには野火止用水際まで新田開発をして細長い村ができた(クリックで大)

6現代(明治~平成)
 ・名主、組頭、百姓代に代わって近代の村が生まれた。
 ・明治末から昭和初期にかけて、村山貯水池の建設が行われた。
  貴重な水田を持つ古村が移転、水没した。
 ・昭和13年(1938)無人の南部地域へ、東京ガス電気工業(株)立地、南街成立。
 ・昭和20年(1945)工場への爆撃、壊滅、平和産業への転換。
 ・昭和31年(1956)2月24日、米軍大和基地が開設された。
 ・昭和30年代中葉から、公営高層集合住宅団地の建設、周辺の住宅地化、人口急増。
 ・平成の高層集合住宅団地の建設。
 ・近い将来、人口減が推定されている。
 この過程を皆さんと共に追い、語らいの場として行きたいと思います。
 「人と自然が調和した生活文化都市」を目指す東大和市、どのような歴史を積み重ねるのでしょうか。
 古い写真や古文書、是非お寄せ下さるようにお願い致します。
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