蔵敷高札場(東京都旧跡)

蔵敷高札場(東京都旧跡)

大まかな歴史の流れ・略年譜 5 近世
 近世1 江戸時代初期  地頭の来村、村切り、青梅道、鷹場
 近世2 玉川上水・野火止用水の開削、細長い村
 近世3 生産性の低い新田、農間稼ぎ
 近世4 荒れる村

江戸時代初期

 いきなり村が出来た!そして、村の形が整うまで

 村に地頭がやってきた

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 村に来た地頭様

 奈良橋村地頭石川太郎右衛門拝領の朱印状

 芋久保村(芋窪村)地頭酒井氏

 長い長い蔵敷村の独立運動

 「村」と認めよ「分」付けは御免(蔵敷村)

 江戸へ石灰を運ぶ道(最初の江戸街道・青梅街道)

    奈良橋庚申塚 

 蔵敷庚申塚

 清水庚申神社

玉川上水・野火止用水

 東大和市と玉川上水・野火止用水との関わり

 玉川上水・野火止用水の東大和市周辺の現状

 玉川上水の開削の背景、ルートは

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 野火止用水が引かれるぞ!! 

 さあ、畑をつくるぞ!!

 細長い村ができた

 羽村の堰工事に入札(寛政3年・1791)

生産性の低い新田、農間稼ぎ

 農間稼ぎ(のうまかせぎ)

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 駄賃稼ぎ(だちんかせぎ)

   馬頭観音をまつった背景

 稗と粟が主食だった

 
 

荒れる村

 藁餅で飢饉を切り抜けよ(天明3年・1783)

 天明の打ち壊し(武州村山騒動 天明4年・1784)1動機・口上

 天明の打ち毀し(武州村山騒動 天明4年・1784)2 打ち毀し

   天明の打ち毀し(武州村山騒動 天明4年・1784)3騒動の後

 天明の打ち毀し(武州村山騒動 天明4年・1784)4騒動の背景  

 飢饉の蓄えにタニシを(天明8年・1788)

 炭の買い出し途中で争い(寛政3年・1791)

幕末

 地頭の乱行と箱訴(文政2年・1819)

 江戸時代の村の人口(蔵敷村 安永9年・1778~明治2年・1869)

  天明2年(1782)~天保12年(1841) おんじー

  文政年間(1818~1829) 飢饉で子供が産めなかった

 文政4年(1821) 稗と粟が主食だった

   天保年間(1830~43) 天保の飢え人

 文久のコロリ(文久2年・1866)

 八州廻りと浪人取締組合の設置(文化4年・1807)

 大がかりな所沢寄場組合(八州廻り・文政の取締改革)

 幕末(安政3年・1856)の村の様子

 黒船来航と村(嘉永6年・1853)

 ペリー再来航 村は厳重に取り締まれ(嘉永7年1854)

 悪党は直ちに捕らえよ 関東取締出役からの命令(嘉永7年・1854)

 竹槍もって直ちに駆けつけます(嘉永7年・1854)

 砲台用ケヤキ運搬のため道普請をせよ(嘉永6年・1853)

 大筒車台用材運搬御廻状(全文写)

 幕府御用船と神明社の大欅(1854)

 幕末の村の名主様(安政2年・1855)

 農兵調練場1(文久3年・1863 )

 農兵調練場1-1

 農兵調練場2 江川農兵の成立(文久3年・1863)

 農兵調練場3 上新井組合(文久3年・1863)

 農兵調練場4 農兵蔵敷組合の誕生(元治元年・1865)

 農兵調練場5 農兵制度の運営

 蔵敷調練場6の1 江川農兵と調練1

 玉川上水への通船1 江戸時代

 強盗二人打ち殺しのこと(慶応4年・1868 閏4月16日)