Ⅱ略年譜

 東大和市の歴史を周辺の出来事を含めて簡単な年表にまとめました。

地質  先史

古代  中世

江戸  明治

大正  昭和
 クリックするとその時代の年表になります。
 東大和市に関係のある比較的大きな出来事を下に記しました。

1地質

・200~50万年前
 東大和市は海の中
 牡蠣(かき)やあさりの貝殻が残されている。
・40~30万年前
 古い多摩川が運んだ石ころが残されている(芋窪礫層)
・8万~3万5000年前
 古富士山や関東の山々から火山灰が積もる。
 多摩ローム・武蔵野ローム・立川ローム層。

2先史

・2万年~1万年前(旧石器時代)
 人が活動をはじめ、村山貯水池に沈んだ地域や空堀川周辺に生活の跡がある。
・1万年~2300年前(3000年前説あり)縄文時代
  鹿島台遺跡  
 約3000年前、弓で狩りをし、石器で根菜を採集、土器で水を貯め、料理をする人々が活動する。
  諏訪山遺跡 
・2300年前(3000年前説あり)弥生時代
 米作りをはじめ、金属器を使用、集落を形成、定着する。東大和市域内では遺跡が発見されていない。

3古代

・3世紀中頃~7世紀後半 古墳時代 諏訪山遺跡
・7世紀後半、東山道武蔵路が東村山駅付近を通過する。
 上野国府(前橋市)と武蔵国府(府中市)を結ぶ古代の官道
・707年 豊鹿島神社創建伝承
・713年 多摩入間の郡界(村山貯水池北側)定まるか?
・725年~750年代 武蔵国府成立 「宅部」は何を意味するか?
・935年 将門の乱 西楽寺に藤原秀郷が戦勝祈念したとされる不動尊があったとの伝承

 4 中世
・1063(康平6)年、御霊神社創建(村山貯水池に沈んだ宅部・内堀)。
  三光院(1112)、円乘院(1159)、氷川神社(1214)創建と寺社の創建が続く。
        谷ッに人々が集落を形成した。
・1333(元弘3)年、元弘の変。5月22日・鎌倉幕府滅亡。将軍塚に元弘の板碑。
・1466(文正元)年10月3日、豊鹿島神社現本殿創建、都内最古の室町建築物。
・1590(天正18)年6月23日 、八王子城開城。8月1日、徳川家康江戸城に入る。
・1591(天正19)年5月、家康の直属家臣が狭山丘陵周辺に配属される。
  谷ッに散在する集落を区切り、芋窪、奈良橋、高木、後ヶ谷、清水の各村が成立した。

5近世 

1590年、徳川家康が関東に入府、
   1591年、狭山丘陵周辺へ家臣を配属します。
 丘陵の谷ッを中心に散在していた集落を集め、村切り(1591)をして、
    芋窪、奈良橋、高木、後ヶ谷、清水村が誕生しました。
1654年、玉川上水、
   1655年、野火止用水の開削、
   1656年、小川村の開村。
 村人は上水、用水に向かって一斉に新田開発を行いました。
延宝期(1673~1680)には、野火止用水際まで新田として耕地を広げました。
 境界の激しく入り組んだ南北に細長い村が出来上がりました。

 
1687年、将軍綱吉が生類憐れみの令を出す中で、猪や鹿狩りの許可を得ながら新田開発は進みます。
 しかし、飢饉が続き、打ち毀しが起き、村人はあえぎます。
1733年、薩摩芋を栽培し、
   1809年、村山絣を創始するなど、明るい兆しも見えますが、村は荒廃します。
1805年、関東取締出役が置かれ、
   1827年、寄場組合村を結成して対処します。
 一方で、子ども相撲、大神楽、獅子舞が行われ、村人達の蓄えた力が実を結び始めました。
・1846年、杉本火災

江戸時代3(1853~1868年)

1853年ペリーが来航し、江戸湾警備が急務となりました。村人は台場整備の松材の切り出しに追われます。

 尊皇攘夷の叫ばれる中で、皇女和宮降嫁、村人達は浦和、大宮宿に助郷です。
 
 コロリが流行し、女講百万遍が行われ、各神社で護摩が奉納されます。
 農兵制度が設けられました。農民が武装し、蔵敷村に調練場がつくられました。

1867年、大政奉還が行われ、
   1868年江戸が東京になります。
 韮山県と品川県が入り交じり、新旧、慌ただしい世界に直面します。
 
6現代
 
  1明治時代
   明治元年・1868~明治45年・1912 
 
 2大正時代
  大正元年・1912~大正15年・1926

   昭和元年・1926~昭和29年・1954
   昭和30年・1955~昭和45年・1970
   昭和46年・1971~昭和63年・1988
 
 (2021.08.04.記 文責・安島喜一)