3古代(略年譜)

3古代(略年譜)

古墳時代(3世紀中頃~7世紀後半)

 東大和市内に古墳と確定される塚はない。下図のように、遠くは毛野、北武蔵、南武蔵の間に位置し、近くに所沢古墳群がある。

 

古墳群 クリックで大

・狭山丘陵の刻んだ谷ッに水田を営む集団が定着。6世紀前半から7世紀にかけての遺物が発見されている。

諏訪山遺跡(下の図の二つ池の近く)から発見された鬼高式土器。
 古墳時代後期6世紀後半~7世紀にかけての時代と推定される。
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廻田谷ッ・廻田田んぼ周辺の遺跡
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・600年代末 東山道武蔵路が開通 東大和市域にも様々な情報がもたらされたか?

東山道武蔵路 クリックで大

8世紀~平安時代

・707(慶雲4)、豊鹿島神社が創建されたと伝わる。現在の本殿は文正元年(1466)創建との棟札がある。

現豊鹿島神社 クリックで大

豊鹿島神社の位置 クリックで大

・713(和銅6)5月、諸国の郡郷名に好字をつけよという指示が出される。
・この頃、狭山丘陵のほぼ中央(東大和市北側)に多摩・入間の郡界が定められたか?

多摩・入間の郡界 クリックで大

・716(宝亀2)、高麗郡建郡。 758(天平宝字2)、新羅郡建郡。
・725~750年代、武蔵国府成立(府中市)。750年代、武蔵国分寺建立(国分寺市)。
 ・東大和市域は多摩郡の北端で入間郡と境を接し
 ・東山道武蔵路からやや外れたところに位置しながら
 ・武蔵国の統治下に入った。
◎東大和市、東村山市にある「宅部」(やけべ)という地名は何を意味するのか?

郡の位置図 クリックで大

・755(天平勝宝7)防人交代 防人の歌詠まれる。
・833(天長10)、多摩・入間郡界に悲田処を置く。様々な位置が候補に考えられている。

悲田所候補地位置図 クリックで大

・935(承平5)、将門の乱
 将門の乱の時に功をなした藤原秀郷が戦勝祈念に大事にお守りしていた不動尊が、一時、西楽寺(村山貯水池の湖底に沈む)にまつられていたとの伝承がある。現在、不動尊は荘厳寺(渋谷区)の不動堂にまつられている。

・この頃、村山党貫首が狭山丘陵に定着か? 
 やがて、中世の武蔵七党に発展。東大和市域も属したか?

武蔵七党・村山党分布図 
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 中世に続く

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