市の北部、村山貯水池のほぼ全域が「多摩湖」です。
村山貯水池は、中央の堰堤に仕切られ上と下に分かれます。
下の堰堤付近の一部を東村山市、上の貯水池の西側の一部を武蔵村山市の区域として、
ほとんどが東大和市域です。
5つの旧村(芋窪、蔵敷、奈良橋、狭山、清水)のそれぞれ一部、162戸が湖底に沈みました。
町名地番整理により、それらを統一して、村山貯水池の愛称「多摩湖」から丁目を「多摩湖」としています。
一丁目から六丁目に区分されています。
多摩湖一丁目
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多摩湖一丁目(下堰堤の北側に大きく窪んだ地域 かっての上宅部)
多摩湖二丁目
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多摩湖二丁目(中堰堤から かっての葦ヶ谷戸、内堀)
多摩湖三丁目
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多摩湖三丁目(狭山富士付近の羽村山口軽便鉄道軌道敷跡)
(山口貯水池建設の際、工事用の軽便鉄道が敷かれた跡 かっての下石川、西北河内)
多摩湖四丁目
多摩湖四丁目(村山下貯水池 かっての杉本、石塔前)
取水塔はネオ・ルネッサンス様式、煉瓦作りの円筒、丸いドーム型の屋根
日本で一番美しいとされます。
「ダム湖百選」「新東京百景」に選ばれています。
多摩湖五丁目
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多摩湖五丁目(村山貯水池の上・下の水が連絡している かっての下石川、北耕地)
また、この地からは古多摩川が運んだ芋窪歴層が観察できます。
多摩湖六丁目
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多摩湖六丁目(村山上貯水池 かっての下石川)
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村山下貯水池、大正5年(1916)着工、昭和2年(1927)完成
村山上貯水池、大正6年(1917)着工、大正13年(1924)完成
狭山丘陵の谷をせき止めた人造湖で東京都民の水がめの役割を担っています。
周辺の春の桜、雑木林の秋など四季を通じて多彩な景観が訪れる人々を楽しませます。
一周、約11,2キロ 徒歩2時間30分 、多摩湖自転車道により全周を巡れます。