東大和の歴史を辿ると原始、古代、中世までは狭山丘陵の周辺に中心がありました。
江戸時代になると下図のように縦に細長い村がつくられます。
当時、生活の基盤は江戸街道(おおむね、現・新青梅街道)以北にありました。南部は全面的に武蔵野の原野を新田開発した畑でした。
明治末から、狭山丘陵に村山貯水池の建設事業が進められ、昭和2年(1927)完成、162戸の古村が湖底に沈みました。昭和13年(1938)、南部の桜が丘、南街地域に、東京ガス電気工業(株)が立地します。それまでは下図の通り、新青梅街道以南は一面の畑地でした。
村山貯水池建設と東京ガス電気工業(株)の工場・社宅建設は東大和市域の歴史を大きく変える出来事でした。加えて、昭和30年代中頃から、第3の波が押し寄せます。畑地に住宅の開発が進み、30年代末には、陸の孤島と呼ばれる状況での公共の高層集合団地が建設され、やがて、現在の第二次高層マンション時代を迎えます。
区域を区切っての歴史はこの一部を紹介することになり、全体との関連性が失われることが考えられます。その場合は、どっとネット内、「東大和の歴史」に年代別に掲載しておりますので、ご参照下さるようにご案内致します。