2018年3月25日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 東大和市内の寺院と札所 霊性庵の石造物3(観音堂北側) 観音堂北側の石造物 観音堂北側に7体の石造物があります。 堂の正面から見て左と右に裏側に回れる細い空地があります。 どちらからでも裏側に回れます。画像は右から回ったところからのものです。 いずれも狭山地域内の他の地域から […] 共有:Tweet
2018年3月19日 / 最終更新日時 : 2023年7月28日 musashinoaj 東大和市内の寺院と札所 霊性庵の石造物2(正面石段上) 正面石段上の石造物 正面石段を登ると左側に石造物がまつられれています。左側から 大日如来石碑 六十六部廻国供養塔1 六十六部廻国供養塔2 地蔵菩薩像 双体(双立)地蔵菩薩像です。 いずれも、狭山村の各地にまつられていたも […] 共有:Tweet
2018年3月18日 / 最終更新日時 : 2023年7月2日 musashinoaj 石造物 霊性庵の石造物1(正面石段付近) 正面石段付近の石造物 大日如来他4体の石造物は狭山の各地域にまつられていました。道路の拡幅や村山貯水池の建設に伴い、湖底に沈んだ地域からも移されています。 図のように 観音堂再建記念供養塔 六地蔵尊1 六地蔵尊2 大日如 […] 共有:Tweet
2018年3月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月12日 musashinoaj 東大和市内の寺院と札所 霊性庵(狭山三十三観音一七番札所 東大和市指定文化財 旧跡) 霊性庵(狭山観音堂 東大和市指定文化財 旧跡) 狭山三十三観音十七番札所です。 本 尊 如意輪観音(真言宗智山派) 所在地 東大和市狭山2-1330 (墓地の地番が1331~1336まであるため、観音堂をそれらの番地 […] 共有:Tweet
2018年3月12日 / 最終更新日時 : 2024年1月4日 musashinoaj 神社と寺院 狭山神社の歴史 狭山神社は幾多の経過を経て現在に到っています。創建時は天狗大明神としてまつられました。その年代は不明です。 まず、左図をご覧下さい。江戸時代の狭山地域(当時は後ヶ谷村、宅部村)の神社の位置図です。村人は各所に神祭りをし […] 共有:Tweet
2018年3月9日 / 最終更新日時 : 2023年6月13日 musashinoaj 神社と寺院 狭山神社(さやまじんじゃ) 東大和市狭山地域の氏神様(うじがみ)、産土様(うぶすな)です。 毎年、1月1日の元旦際から始まって12月23日のカマジメまで、いろいろな行事に人々が集まります。 9月の第2土曜から日曜日にかけて、秋の大祭が催され、大賑わ […] 共有:Tweet
2018年2月22日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 石神の話(東大和のよもやま話) 村山下貯水池の建設とともに、湖底に沈んだ上宅部に伝わる話です。下の堤防から二つの取水塔が見えます。その奥の方に近いところでした。 そこは、石塔前という特別の名前で呼ばれていました。村人達にとって、大事な大事な「石神」様が […] 共有:Tweet
2018年2月20日 / 最終更新日時 : 2021年12月6日 musashinoaj 7近世 かたき討の話(東大和のよもやま話) 天保年間、天候が安定せず、飢饉、物価高が続きました。80%の村人達が飢えて、お互いに融通し合って過ごす中で、行き倒れや捨て子の記録とともに、長脇差や刀を帯びた「無宿」や「渡世人」が渡り歩いたことが伝えられます。 その […] 共有:Tweet
2018年2月18日 / 最終更新日時 : 2021年4月19日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 5 近世 4 荒れる村 1踏んだり蹴ったりお犬様 狭山丘陵周辺の生類憐れみの令 延宝8年(1680)8月、五代将軍に綱吉が就任します。武蔵野開発に力を入れた三代将軍家光の四男です。放漫になりかけていた幕制改革に着手しました。一方で、生類憐れみの […] 共有:Tweet
2018年2月12日 / 最終更新日時 : 2020年10月2日 musashinoaj 1大まかな歴史の流れ 大まかな歴史の流れ 5 近世 3生産性の低い新田 農間稼ぎ 1 空堀川までが日常生活圏 早くに済ませた新田開発 一般的に大々的な武蔵野の新田開発は享保7年(1722)、江戸日本橋高札場に掲げられた武蔵野新田開発奨励のお触れ以降急速に進んだとされます。 しかし、東大和 […] 共有:Tweet