2023年7月28日 / 最終更新日時 : 2023年7月28日 musashinoaj 7近世 幕末(安政3年・1856 東大和市)の村の様子 幕末(安政3年・1856)の村の様子 幕末の村の様子です。 統一的に記録する資料が少ない中で、安政3年(1856)の状況を『里正日誌』が伝えます。記述が簡略化されていますが、江戸末期の村の様子が読み取れます。先ず […] 共有:Tweet
2023年7月22日 / 最終更新日時 : 2023年7月22日 musashinoaj 7近世 明和九年(1772)の道しるべ(東大和市) 明和九年(1772)の道しるべ(東大和市) 雲性寺の前庭にまつられる石塔の中に、坂東・秩父・西国百ヶ所巡礼供養塔(高さ75㌢)があります。 この塔の両側面が道しるべになっています。 一番右側の奥が今回紹介する道しるべ […] 共有:Tweet
2023年7月14日 / 最終更新日時 : 2023年7月24日 musashinoaj 7近世 笠松坂の道しるべ(東大和市) 笠松坂の道しるべ(東大和市) 笠松坂、東大和市の西北端です。 地元では笠松峠と呼ぶ人もあります。 この一段と高くなったところに、村山貯水池と狭山丘陵の南麓を見渡すように「道しるべ」があります。 左端の石仏です。 東大 […] 共有:Tweet
2023年7月11日 / 最終更新日時 : 2023年7月24日 musashinoaj 7近世 奈良橋庚申塚の道しるべ(東大和市) 奈良橋庚申塚の道しるべ(東大和市) 東大和市の中央部、かっての江戸街道と青梅街道が交差する場です。 「庚申塚」があり、道行く人々の憩いの場であり、道しるべを刻む庚申塔がまつられていました。 道しるべは台座の中央部に刻 […] 共有:Tweet
2023年7月5日 / 最終更新日時 : 2023年7月5日 musashinoaj 7近世 「村」と認めよ!「分」 付きはご免!!(東大和市 蔵敷) 「村」と認めよ!「分」 付きはご免!!(東大和市 蔵敷) 充分に自立した村にもかかわらず 「蔵敷」が地域、人口、生産高など充分に独立の村の状態にありながら、 村と認められずに「奈良橋村 蔵敷分」として 奈良橋村の […] 共有:Tweet
2023年7月2日 / 最終更新日時 : 2023年7月5日 musashinoaj 7近世 長い長い蔵敷村の独立運動(東大和市) 長い長い蔵敷村の独立運動(東大和市) 江戸~明治時代を通じ ・蔵敷農兵調練場 ・蔵敷寄場組合 など、東大和市の中でも世に知られた村に「蔵敷村」(ぞうしきむら)があります。 しかし、江戸時代には、公的には「奈良橋村 […] 共有:Tweet
2023年6月25日 / 最終更新日時 : 2023年7月5日 musashinoaj 7近世 いきなり村ができた! そして、村の形が整うまで(東大和市) いきなり村ができた! そして、村の形が整うまで(東大和市) 「今度から、おら方は芋窪(いもくぼ)だと」 「おら方じゃ、奈良橋(ならはし)とか云ってんど」 「いってえ、誰がつけたんだべねえ」 「新しく来る地頭様だってよ […] 共有:Tweet
2023年1月21日 / 最終更新日時 : 2023年6月26日 musashinoaj 7近世 奈良橋村地頭・石川太郎右衛門拝領の朱印状(写) 奈良橋村地頭・石川太郎右衛門拝領の朱印状(写) 徳川家康が関東に移ると共に、直属の家臣達が狭山丘陵周辺に配属されてきました。 その一人が石川太郎右衛門で、奈良橋村を治めました。 その時拝領した御朱印状(命令書)がなか […] 共有:Tweet
2023年1月18日 / 最終更新日時 : 2023年7月13日 musashinoaj 7近世 竹槍を持って駆けつけます 嘉永7年(1854)正月 ペリー再来航 竹槍を持って駆けつけます 嘉永7年(1854)正月 ペリー再来航 嘉永7年(1854)1月9日、ペリーが再来航しました。 これに対応して 防衛、対外政策に脚光を浴びる江川代官と 泣く子も黙る関東取締出役 […] 共有:Tweet
2023年1月11日 / 最終更新日時 : 2023年1月18日 musashinoaj 7近世 悪党は直ちに捕らえよ! 外出は控えよ!! 関東取締出役からの命令 悪党は直ちに捕らえよ! 外出は控えよ!! 関東取締出役からの命令 嘉永7年(1854)1月18日、今度は関東取締出役から呼び出しです。 19日に、所澤村へ、各組合村の幹部は集まれ、との達し。 当時、狭山丘陵周辺 […] 共有:Tweet