3万年前の人、狭山丘陵に来たかも??!!
3万年前の人、狭山丘陵に来たかも??!!
「おじさん、3万年前だけど、東大和市にはどんな人が居たの?」
難問、難問、近所の中学生が持って来ました。
「3万年前かあ、・・・困ったな・・・・」
東大和に人が姿を見せ始めるのは今のところ、1万5千年位前とされています。
その倍の昔、もぞもぞしていると、中学生はもどかしそうに片足で地面を突ついています。
「これが、東大和市に残された最も古い遺物なんだ。3万年には達しない。
1万5000年位前という。でも、お隣の小平市には3万8千年ぐらい前の遺跡があるからね・・・」
「じゃ、その人たちが狩りをしに来た可能性があるじゃん」
と云うことから、部屋に上がり込んで、狭山丘陵の近くの様子を調べました。
・丘陵の南の小平市、鈴木遺跡
後期旧石器時代・ 約3万8000年~約1万6000年前
当時の石神井川最上流です。
・少し離れて府中市の武蔵台遺跡、 約3万5000年~約2万年前
・調布市の野川遺跡、約3万5000年~約1万2000年前
「狭山丘陵の北側だと所沢市の砂川遺跡か。2万年台だよ」
「じゃ、おじさんの云う鈴木遺跡が一番古いね。どんな遺跡?」
「ちょっと、前の状況だけど、参考までにね」
しまってあった資料を取り出します。
鈴木遺跡の発掘現場
「石神井川の源流がその場所なんだ。
現在とチョット離れているんで、要注意だよ」
遺跡の規模22万㎡、10万点を超える出土物
後期旧石器時代を代表する東京都内で最大級の遺跡
令和3年(2021)3月、国史跡に指定。
「もう古い写真だけど、発掘現場だよ」
「最近の報告だと、この遺跡、3万8000年前とされるよ」
「へえー、おじさん、日本に人が移って来たのは約4万年前頃って
教わったよ。それからすぐじゃん。」
「・・・・・」
興味津々で、そわそわしています。
こんな石器を使っていた
「鈴木遺跡史料館に行くと、関連資料が整理されているんだ」
「おじさんが行ったときには、その入り口に、発掘現場の地層が階層別に分けられて展示されていた」
現在はⅪ(11)層に分けられているようです。2015年当時はⅩ(10)層でした。
そのⅩ(10)層(約37000~3万5000年前)、一番深いところとその上のⅨ(9)層の石器が当時は次のように展示されていました。
「東大和市で見つかっている石器とは大分違うだろ」
「うん、違うね。違いははっきりわかる」
やっぱり、石器は違う
東大和市に残された石器の時期と同じ時代の石器を探します。
「少し時代が下がるけど、これが、鈴木遺跡で見つかった石器なんだ」
2万2000年前から1万5000年前の地層からの遺物。
東大和市に同じような石器はないか、二人で、懸命に探します。
「やっぱり、チョット違うね」
「と云うことは、おじさん、石器の作り方も、やって来た人やグループも違うってこと?」
「まさに、その通りだと思うよ」
「でもさ、おじさん、小平から狭山丘陵ってそんなに遠くないよね。
狩りをしながら、獣を追っかけて来たかも知れないじゃない」
「うん、確かに。それが知りたいね」
「今度、お父さんに、小平へ連れて行って貰って、確かめてくるよ」
「それがいい、それがいい」
こうして、その場はおさまりました。冷や汗一杯です。
中学生が云うように、日本列島に人が移ってきたのが、現在のところ4万年前とされる。
それから2000年を経て、小平に達している。その道筋はどうなっているのか?
狭山丘陵周辺にも、まだまだ、未発見の歴史が眠っている可能性が充分。
今度は、それを聞きに来るだろう。
さて、大変だ、大変だ!! こっちも、中学生に返って資料漁りを始めました。
(2024.08.02.記 文責・安島喜一)