霊性庵(狭山三十三観音一七番札所 東大和市指定文化財 旧跡)
霊性庵(狭山観音堂 東大和市指定文化財 旧跡)
本 尊 如意輪観音(真言宗智山派)
所在地 東大和市狭山2-1330
(墓地の地番が1331~1336まであるため、観音堂をそれらの番地とする場合もあります)
詠 歌 きぎ茂る 峰の庵を訪ねきて うれしくもきく 法の松風
地元では嶺松庵とも云います。
御朱印は円乗院で頂けます。
歴史を辿ります。
『新編武蔵風土記稿』は
観音堂 字南分にあり、二間半に五間、南向、如意輪の座像木にて作る、丈八寸許り、
古碑 一基 長二尺余、貞治七戊申四月十九日とあり、
『狭山之栞』は
嶺松庵観音堂は狭山南峰の枝峰の出鼻に在り。圓乗院の持にして本尊如意輪大士は恵心僧都の作。狭山第十七番の霊場也、内に村里の墓あり、碑あり、詠歌『ききしける嶺の庵を尋來て嬉敷もきく法のまつ風』を刻む。外に左図の如き古碑存す。
とあります。
何回も改修を経て、昭和38年(1963)頃は上左図の建物でした。堂守が居住していました。平成9年(1997)、現在のように改修されました。改修の経過は正面石段の左側にある「観音堂再建記念供養塔」に詳しく刻まれています。
円乗院の境外仏堂で創建は明らかではありません。観音堂の前にある平成9年再建記念供養塔に、本尊の台座に、元禄5年(1692)、円乘院二十二世法印泓誉(おうよ)が係わったことが彫られていて、それ以前であるとしています。
狭山三十三観音札所は東大和市域に入ると、清水の橋場の堂(15番)から三光院の堂(16番)を経て、霊性庵に来て奈良橋の雲性寺の堂へと巡りました。貯水池のできる前は谷から峰を超え、丘陵の裾野を伝う、いかにも狭山らしい巡礼道であったことが偲ばれます。第十六番札所は村山貯水池建設により、南の原の中、現・新青梅街道北側に移転しました。
札所の設定については諸論がありますが、埼玉県所沢市三ヶ島の妙善院に天明8年(1788)の標石があり、この時期と考えられています。
石造物
村山貯水池の建設や道路拡張などから移されたこともあり、貴重な石造物が数多くあります。
このページでは所在と年号を紹介し、内容はそれぞれページを改めて書きます。
正面石段からの石造物
正面石段を登って左側の石造物
観音堂北側の石造物
墓地右奥の石造物
詳細は次のページに記します。
正面石段からの石造物
正面石段を登って左側の石造物
観音堂北側の石造物
墓地右奥の石造物
(2018.03.16.記 文責・安島喜一)
“霊性庵(狭山三十三観音一七番札所 東大和市指定文化財 旧跡)” に対して1件のコメントがあります。
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霊性庵本堂に向かって左手に狭山村の石碑があります。大正8年に墓地を区画整理した供養塔です。
碑の裏に費用を寄進した人の名が刻まれています。(私の祖父の名もありますが)霊性庵の石碑の
一つに入れてもよいと思います。