2021年4月14日 / 最終更新日時 : 2021年4月19日 musashinoaj 7近世 天明の打ち毀し(武州村山騒動)1 天明の打ち毀し(武州村山騒動)1 「もう、我慢がならねえ」 「ここでやらなきゃ、皆んなが潰れる」 「ちげえねえ」 「確かだ」 「きついけんど、村々に招集をかけんベえ」 穏やかな狭山丘陵の麓に、打ち毀しの事件が […] 共有:Tweet
2021年3月21日 / 最終更新日時 : 2023年7月22日 musashinoaj 2略年譜 3古代(東大和市の歴史・略年譜) 3古代(東大和市の歴史・略年譜) 古墳時代(3世紀中頃~7世紀後半) 東大和市内に古墳と確定される塚はない。下図のように、遠くは毛野、北武蔵、南武蔵の間に位置し、近くに所沢古墳群がある。 古墳群 クリック […] 共有:Tweet
2021年3月3日 / 最終更新日時 : 2021年4月17日 musashinoaj 8現代 東大和市の地名5(江戸時代初期) 東大和市の地名5(江戸時代初期) 東大和市の江戸時代初期の地名は 「すな」「やくしの前」「竹山」「けかちがわ」・・・ のように比較的狭い範囲を具体的に表します。地名の面白さが凝縮しているようです。 しかし、全てが一 […] 共有:Tweet
2021年2月27日 / 最終更新日時 : 2023年7月31日 musashinoaj 8現代 東大和市の地名4(野火止用水まで) 東大和市の地名4(野火止用水まで) 東大和市域の村々は、1670年代になると、下図のように、南台、新街道、大久保、向原、山神、下仲原等の地域を開墾し、野火止用水周辺にその動きを進めてきました。 寛文9年(1669)、 […] 共有:Tweet
2021年2月23日 / 最終更新日時 : 2021年2月27日 musashinoaj 8現代 東大和市の地名3(江戸街道から原まで2) 東大和市の地名3(江戸街道から原まで2) 1660年~70年代になると、ほぼ江戸街道の辺りにまで、開墾が進んできました。 高木、後ヶ谷、清水村の人々は南に広がる広大な原野を前に、心新たに開墾の意志を固めたと想像します […] 共有:Tweet
2021年2月21日 / 最終更新日時 : 2021年2月23日 musashinoaj 8現代 東大和市の地名(3江戸街道から原 1) 東大和市の地名(3江戸街道から原 1) 1谷地を望む台地縁辺 狭山丘陵の懐に生活の基盤を置いた村人達は、まず、南の砂の川(空堀川)を目指して開墾を始めました。 麓の村から、砂の川へは下りが続き、川を越えてまたのぼり […] 共有:Tweet
2021年2月7日 / 最終更新日時 : 2023年7月31日 musashinoaj 8現代 東大和市の地名(2江戸街道まで) 東大和市の地名(2江戸街道まで) 「さー、始めんべえや!」 「よーし、やんぞー」 「負けちゃー、いられねえーぞ」 承応2年(1653)に玉川上水、そして、承応4年(1655)に野火止用水が開削されました。 その分岐点 […] 共有:Tweet
2021年2月5日 / 最終更新日時 : 2021年6月8日 musashinoaj 8現代 東大和市の地名(1地名のあらまし) 東大和市の地名(1地名のあらまし) 「おれーらの芋窪って村の名前は、どうやってつけたんだや?」 「芋と窪だぁから、芋が、窪(くぼ)い畑で、うんととれたんだべ」 「そうじゃねえ、おらが爺の話だと“井の窪”で、水がた […] 共有:Tweet
2021年1月15日 / 最終更新日時 : 2023年8月1日 musashinoaj つぶやき センダンとムクドリ(東京都立東大和南公園) センダンとムクドリ(東京都立東大和南公園) 東京都立東大和南公園の東南隅から公園に入ったときです。 頭に何かつぶつぶしたものが落ちてきました。 「なんかおっこってきた」 「私にもぶつかった」 何だろうと探し […] 共有:Tweet
2020年12月2日 / 最終更新日時 : 2020年12月2日 musashinoaj 7近世 さあ、畑をつくるぞ!! さあ、畑をつくるぞ!! 「すげーなー」 「多摩川の水だんべ・・・」 野火止用水に水が流れました。承応4年(1655)3月20日です。 茅(かや)や茨(いばら)が背中より高い原野の中 たった一筋の水路を熱く追います。 […] 共有:Tweet