2017年7月24日 / 最終更新日時 : 2020年10月20日 musashinoaj 7近世 駄賃稼ぎ(だちんかせぎ) 馬の背に薪や炭を載せて、江戸のごひいき様まで届けてお金をもらう。 「決して商売ではありません。運び賃、駄賃です」 と云って稼いだのが「駄賃稼ぎ」です。 帰りには仕入れた肥料の下に、チャッカリ江戸みやげもあったそう […] 共有:Tweet
2017年7月23日 / 最終更新日時 : 2024年2月18日 musashinoaj よもやま話 比翼塚(ひよくづか) 明治初年のお話です。 高木神社の東側、少し小高くなった丘の上(松こごれ地蔵の奥・妙楽寺墓地)に、枯れ草に埋もれるように大小の碑が並んで立っています。 宮嶋巌之塚、宮嶋喜与と彫られています。人々は比翼塚(ひよくづ […] 共有:Tweet
2017年7月22日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 musashinoaj よもやま話 火をふところに入れた法印さん(よもやま話) 江戸時代のことです。先ず、お話を聞いてください。『東大和のよもやまばなし』の一話です。 「清水に持宝院(じほういん)という修験の法印さんが居りました。代々学問のある家の人でした。 江戸末期のことです。その頃は副業 […] 共有:Tweet
2017年7月21日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 いかづちさま 村山上貯水池に沈んだ石川の里に「いかづち山」と呼ばれる小高い山がありました。住吉神社の西側になります。 山頂に「雷大明神」(いかづちだいみょうじん)の碑がまつられていました。子供の夜泣きに御利益があり、村人達に厚く信 […] 共有:Tweet
2017年7月20日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 工場と住宅・福利施設の一体建設(南街) 東京ガス電気工業(株)の工場と社員施設 鉄道の駅がない、人家も一つもない、一面畑の中に、工場の建設は急ピッチで行われました。突貫工事と呼ばれその様子は次の通りです。 ・昭和13年(1938 )5月1日、地鎮祭・ […] 共有:Tweet
2017年7月19日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 米軍大和基地の碑 西武拝島線玉川上水駅を北口に降りると正面に駅前広場があります。 駅広は、バス停、車道と島の広場で構成されています。米軍大和基地の碑は画像の横断歩道を渡って左に進むと設置されています。 かって、この地は有刺鉄柵で囲まれ […] 共有:Tweet
2017年7月18日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 東京ガス電気工業(株)の進出 昭和12年(1937)、当時の大和村南部に工場進出の話題が持ち上がります。下図のように人家は全くなく、一面に畑が続いていました。玉川上水から野火止用水が分水される村の南端です。野火止用水の縁をこんもりと松林が囲んでいま […] 共有:Tweet
2017年7月17日 / 最終更新日時 : 2024年4月26日 musashinoaj モニュメント 用水工夫 東大和市内から小平市を通る、けやき通りは、野火止用水の上を渡ります。あまり気がつかないのですが、野火止橋があります。 通る人はたいてい立ち止まります。橋のたもとのブロンズ像に引き留められます。 見ると「用水工夫」の […] 共有:Tweet
2017年7月16日 / 最終更新日時 : 2024年3月10日 musashinoaj 東大和の歴史 地頭の乱行と箱訴 「泣く子も黙る地頭」の言葉は、江戸末期の多摩郡でも生きていました。 東大和市では清水村が渦中にあり、その概要が記録に残されています。 明治維新の50年前、この時代の地頭支配の状況が垣間見えますので紹介します。 文政2 […] 共有:Tweet
2017年7月15日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 7近世 おんじー!? 東大和市の現・狭山地域が後ヶ谷村(うしろがやむら)と呼ばれていた江戸時代の話です。 地元の杉本家に伝わる貴重な古文書に宗門帳があり、当時の家族構成がわかります。 寛政6年までは中核となる家族構成は4人から6 […] 共有:Tweet