用水工夫
東大和市内から小平市を通る、けやき通りは、野火止用水の上を渡ります。あまり気がつかないのですが、野火止橋があります。
通る人はたいてい立ち止まります。橋のたもとのブロンズ像に引き留められます。
見ると「用水工夫」のモニュメント(東大和市)です。
堀具を振り上げていて、野火止用水の開削工事にちなんで置かれています。
立ち止まった人々はしげしげと見入ります。
「美男子・・・」
とほとんどの方々が云われます。
割と小づくりの身体に、整った顔が何ともいえない雰囲気を醸し出しています。
近くに説明板(作品紹介)があって
「野火止用水は承応四年(1655)、徳川幕府の老中松平伊豆守信綱によってつくられ、小川村の分岐点(現在の小平市中島町)から新河岸川まで六里(約24キロメートル)を四十日間で堀り通したといわれる用水路です。
この用水のおかげで、用水周辺の田、畑がうるおい、米の取れ高は十倍にもなったそうです。
また、美術工芸品の設置されたこの場所の町名は新堀といいますが、この掘りができたときに付けられたといわれる新堀という小字名を採用したものです。」 と記されています。
さて、いったい、この工夫さん、工事の時はどこから来たのでしょう?
我がまちの先祖?・・・地元の村人?
川越の人? 野火止地方(新座市)の人?・・・?
記録があれば良いのに!! 知りたいです。
(2017.07.17.記 文責・安島喜一)2