大和村誕生100年

郷土博物館では、10月19日~11月17日まで大正8年(1919)大和村が誕生してから100年の歩みを10枚程度のパネルで展示紹介している。
11月10日昼前に郷土博物館訪れてこの展示を見てきた。
多摩湖の建設の様子やその後の太平洋戦争の悲惨な爪痕などの写真と解説が展示されていた。
大和村になるまで
明治21年市町村制公布により小さな村の合併が推進された。当時、六つの村があったが住民は合併に強固に反対し(理由はなんだったのか)明治22年(1889)「組合村」を結成した。
六つの村(芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、狭山、清水)は、「高木村外五か村組合」となった。
表面上は一つの村ではあるが各村の独自性が保たれている村、いわば「合併」前、つまり結婚前の同棲のようなものという例えが妥当かどうか。
ところが、大和村となるべき合併はそれから30年の後、大正8(1919)である。、この期間が長かった。どうしてかその原因がわからない。

この例は、隣の武蔵村山市も中藤村外三か村組合(中藤、三ツ木、横田、岸)で、大正6年合併して村山村となった。
また、昭島市は、中神村外八か村組合を結成、明治35年拝島村が分離、残りの八か村が合併して昭和3年昭和村となる。
その後、昭和29年昭和町と拝島町が合併して昭島市となる。

この間、町制や市政へと推移していったが、近隣市の状況を見てみると次のとおりである。
東大和市・・・・(町制)昭和29年・・・・・・(市制)昭和45年
武蔵村山市・・・・・・・・・29年・・・・・・・・・・45年
昭島市・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29年
東村山市・・・・・・・・・・17年・・・・・・・・・・39年
小平市・・・・・・・・・・・19年・・・・・・・・・・37年
小金井市・・・・・・・・・・12年・・・・・・・・・・33年
立川市・・・・・・・・・大正12年・・・・・・・・・・15年