77年前

三河地震

終戦半年前、昭和20年(1945年)1月13日未明マ
グニチュード6.8、震度7の直下型地震が、愛知県三
河湾で発生した。
地震の種類は、深溝(ふこう)断層(逆断層型)
死者約2,300人行方不明1,100人、負傷者約3,900人
の被害があった。

父は、戦場へ、母と3人姉弟は、大揺れのなかで
外へ避難もできず家の中を足を取られながらの
恐ろしさに怯え、震えているばかりであった。
小学1年生のときである。

棚から本が落ちる。茶碗、牛乳瓶も落ちて割れて
欠片を踏んで足に血が滲む。お勝手の煙突が折れ
ている。あちこちの壁が崩れ落ちている。
余震が、止むときがないほどいつも揺れている感
覚が続いている。戸外で寝起きすることにした。
畑の中にテント(古い帆布)を張って雨風のみな
らず空からの焼夷弾から身を守らなければならな
い。

隠された地震
太平洋戦争末期、B29爆撃機による日本全土が攻撃
圏内に入り、空襲警報が毎日のように続いた。
戦時中において報道管制下にあり地震の規模や被害
状況は具体的には報道されなかった。
従って、人的・物的支援も殆どなかった。

自宅周辺の被害は、古い家屋が2、3軒倒壊したが、
死者はいなかった。怪我人は多数いたが、重傷者は
多くはなかった。
余震が、1週間ほど続き家屋内に戻ることは出来なか
った。
しかし、戦争は続いており海側方面から次々とB29が
飛来し、焼夷弾を投下していった。

毎日、命を脅かされていた。

半年後、終戦となり戦争の傷跡と地震による被害が
残った。

立川断層帯地震
東京都は、今年5月首都直下型地震の被害想定を発表
している。
立川断層帯については、活断層を震源とし、震度6
以上の発生は多摩地域に限定され、同地域の約2割
に広がる。30年以内の発生確率は、0.5~2%で、武
蔵村山市や昭島市など多摩地域の9市町で震度7の
非常に激しい揺れを想定している。

身の回りの被害想定チェック
①建物が震度7に耐えられるか・・・・軽量鉄骨木
造2階建て、築31年(耐震診断未実施)
倒壊の恐れありと判断した場合テーブルとソフアー
の間に避難する。
②寝室1階・・・・倒壊した場合は2階が安全か
③水、食料の備蓄・・・殆どしてない。
 家具類の転倒防止・・・実施してない。
 非常備蓄品、非常持出品等・・・実施してない
④避難場所・・・高校まで徒歩5分
⑤隣近所との付き合い(高齢者一人住まい)・・・
一軒を除き向こう三軒
両隣との付き合いあり(内4軒
は老婦人1人住まい)

⑥緊急連絡先・・・都区内在住の長男か横浜の義弟
いずれもすぐ駆けつけられる距離ではない。

 

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