家族写真の年賀状

人口減少が続く
東大和市の人口は、平成28年(2016年)をピークに
減少傾向にある。
平成12年(2000年)多摩都市モノレールの全線開通
に伴い沿線にマンションが建設されたことにより人
口増につながり平成15年(2003年)には人口8万人
を超え微増傾向にあった。
しかし、平成27年(2015年)を境に減少傾向になっ
ている。
(「市勢概要2019令和元年版参照」、令和2年3月
発行。
3年毎に発行されるから今年「市勢2022令和4年版」
が今年3月に発行の予定であったが、変更されて、市
のホー
ムページに掲載の予定とのことである。)

 

 

東大和市の出生率
東京都の人口動態統計年報(令和3年)によると「合計
特殊出生率」(女性が仮に一生の間に産むとしたとき
の子どもの数)は、全国は、1.33人、東京では1.12人
東大和は、1.31人で東京都62区市町村中では14番目、
市部26市中では
4番目である。
なお、東京都での婚姻数73,931組 離婚数20,783組
と3組に1組近くが別れていることになる。

令和4年12月末の東大和市の人口は、84,870人
(男41,
673人、女43,197人)
面積13.42K㎡で、かなり人口密
度は高い。

 

月下氷人
最近は、昭和の時代のように面倒見のいい、またはお節
介なおばさんが少なくなって男女の仲をとりもって、

婚の仲立ちを努めてもらえる関係やお付き合いが少なく
なってしまった。
そのためか独身のまま過ごす人も多くなった。

頼まれ仲人

会社勤めをしていたころ部下から頼まれ仲人を引き受け
た。最近では、仲人を立てることも少なくなった。
部下だから仕方なく引き受けたが、当日の妻の準備は
変であった。
服装の黒留袖から美容院でのヘアーアレン
ジ、草履やハ
ンドバックのデザインにも気をくばっていた。

 

 

 

 

 

 

1組目
栃木出身の農家の三男坊、温和な性格だが主張するとき
ははっきりと自分らしさを出す。
取引先の女性事務員と結婚した。彼女は、一人娘である。
父親が建
設業を営んでいるため婿さんには先々父親の後
を引き継
いでもらうと言う条件であった。
彼は、1男1女の子宝に恵まれて立派に義父の後継ぎとな
っている。

 

 

 

 

 

 

2組目
社員食堂の100人ほどの昼食を提供してくれている食堂
の責任者で東京の下町の出でスポーツマンである。バト
ミントンのクラブで知り合った女性と結婚することとな
った。彼女は、職場では、実業団対抗の選手でもあり活
躍していた。
そんなスポーツマン同志のふたりだが子宝には恵まれず
顔を合せると「まだです」と子どものことを聞かれる前
に先手を打った。
結婚10年後、年賀状に赤ん坊を抱いた二人の写真があ
った。生まれても驚かせようと何も言ってこなかったの
だろうか。
早速、お祝いの贈り物をした。
後で分かったことだが、子どもを養子縁組みしたとのこ
とであった。

3組目
同じ職場で机を並べた二人が結婚した。夫婦で机を並べ
ての仕事もやりにくいと考えて他の職場へ男性を配置換
えをした。
盆暮れの贈り物を欠かさず律儀な昔気質の二人であった。
女の子を2人儲けて一戸建ての住居を購入し、夫の母親
も同居するようになった。
そして、もう結婚して15年にもなろうとしていたある日
のこと夫の方がお話ししたいことがあると訪ねてきた。
いつもにこにこしている表情が硬く緊張していた。近況
を尋ねることもなく突然、妻と離婚しましたと切り出し
た。
えーどうしたの?と昔の上司と部下に戻った。
彼には、
いま、昔の業務の結果報告をする義務からは解
放されて
いた。
まーちょっとありまして。。。。と言葉を濁した。
それ以上くわしく理由を問いただすことを諦めた。
二人の女の子は、高校生と中学生になっており、彼が、
引き取って育てることになったとだけ言って帰って行っ
た。

 

毎年の家族写真
年賀状は、家族の正月の晴れ着姿の写真が送られてきてい
た。

月日の経過は、一家族が無沙汰になり、また次の家族が
無沙汰となる現象を生じさせた。
ついに最近は三家族とも便りが途絶えた。
親戚でさえ昨今は、疎遠となり、ここ2~3年はコロナの
ため身内の葬儀も近親のみとか内々でとかでますます遠縁
となってし
まったその後は無縁となる。

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