神頼み

真言宗
東大和市にあるお寺は大部分が、真言宗
である。芋窪の蓮華寺、慶性院、奈良橋
の雲性寺、狭山の円乗院、清水の三光院
と全て真言宗である。(新義真言宗)
弘法大師空海が、平安時代初期に大成した
真言密教を教義として【即身成仏」つま
り仏と自己の一体化すること。


どうして当市の寺は大部分が真言宗なの
か?

浄土宗
実家が、浄土宗である。信徒でも何でも
い。亡くなった妻の葬儀は、浄土宗で
った。
葬儀は、練馬区にある寺、四十九
日には、
茨城県常総市の寺からお坊さんが法要に
た。
すべて葬儀社が手配してくれた。

戦争の後遺症
戦争から帰ってきた父親は廃人同様であっ
た。痩せ衰えた身体と焦点の定まらぬ眼が
うつろな表情を見せていた。


それでも半年過ぎた頃には体力も回復しつ
つあり、表情もいくらか明るさが戻った。
知り合いの口利きで食糧配給公団の事務員
として働くようになった。
しかし、長続きはしなかった。職場で時々
めまいの症状があり仕事を続けられなく
り横になってないと気持ちが悪いと訴え
た。
父親は、まだ40代半ばであった。
中学生の私と母親は、リヤカーを引いて2キ
ロほどのところにある父親の職場に迎えに
行った。。


元来、好き嫌いの多い父親は、肉類や乳製
品は殆ど食べなかった。
また、医者嫌いで自分から医者にかかろう
としなかった。

いくら説得しても言うことを聞かないため
業を煮やした母親は医者に往診を頼んだ。
診断は、貧血とのことでなるべく肉類や魚
ど特に牛乳を飲むなどタンパク質をとる
とを勧めた。
ところが、父親の嫌いなものば
かりだった。

信仰に救いを求めた。
知人が病気治癒に効き目のある金光教に入信
してみたらと持ち込んできた。
医者でも治らない病を治したい藁でも縋りた
い思いから父親は入信を決意した。
立派な白木の祭壇が六畳間にしつらえられた。
月に1回2~3人の祈祷師が夜7時ころやってき
てお祈りした。
祈祷師の1人に殺人を犯して刑
期終えた30歳代
の体格の良い祈祷師がいた。
若い頃、喧嘩をして刃物で相手を刺し殺したら
しいが、
正当防衛で刑期も短ったらしい。
夜、”こんばんわ、こんばんわ”と戸を叩く。戸
を開ける。そこには見上げるほどの大男が立っ
ている。どきィと心臓が高鳴る。殺人を犯した
祈祷師が立っていた。
お祈りが終わりいくらか
のお布施を渡して祈祷
師達は帰って行く。
ご先祖様の祟り
ある日、お祈りが終わってから祈祷師のリーダ
ーから
”ご主人様のめまいの原因は、ご先祖さま
を敬う気持ちを怠っている
とか位牌や阿弥陀様
に粗相があるなど思いつく
ことはないかと父親
に質問
があった。
その辺のところは妻がお寺さんと接
触を密にし
てお盆、命日など怠りなくお勤めしているはず
であ
る。と父親は答えた。
その祈祷師は、仏壇を見せてくれと言って仏具
を一つづつ点検し始めた。そして阿弥陀様の立
ち姿の
木像を示して足の指が両方とも欠けてい
と言った。
確かに!!両足が甲のところから欠けていた。
”祟りか祟りか”とつぶやく祈祷師。
修復から帰ってきた阿弥陀様
仏壇屋は、三河大地震で阿弥陀様が転げ落ちて
の甲が欠けたのだと言った。
修復した阿弥陀様は仏壇におさまった。
やがてのこと父親の
めまいが起こらなくなった。
やはりこ
の阿弥陀様の足の欠落が祟っていたの
か。
安堵した父親の表情が、
家族全体の幸せをもた
らした。
その後、父親は、役場の小使いさん(今で言う
用務員さん)
に採用され宿直の日もあったが、
かなり健康を
とりもどした。食事も嫌いな肉類
や乳製品も少しずつ食べるようになっていた。

信仰をやめる
ある日、祈祷師から3年ほどつづけて信仰した
金光教が
別の宗教に変わる(改宗ではないらし
い)とのことで
引き続き信仰するように勧めら
れたが、これを機に信
仰を止めると父親は答え
た。
祟りが怖い!!
父親の決断は堅かった。
めまいが完全に治ったわけではないが以前ほど
起きることはなかった。

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