町議会議員
町を守る
市長、市議会議員選挙が終わって1ヶ月
が過ぎた。
東大和市の市長は,市が始まって以来の
女性の市長が誕生した。
前回の市長選挙では,対抗馬が現職の市
長をかなりの得票数で追い上げたよう
な記憶がある。
今回3人が新人候補で三つ巴となるやに
思えたが女性候補者が2位、3位の候補
者に大差をつけて当選した。
確か選挙4~5日前に公明党は、女性候
補を応援しますと留守電が入っていた。
勝負はついたと思った。
他の市(三鷹、東村山、稲城)は,現職が
当選している。いずれも自公推薦、支持
であった。
市議会議員は、東大和は、定員22名に対
して31名の候補者の1.4倍であった。
現職は、全員当選した。
現職16人、新人5人、元職1人計22人とな
った。31名の立候補のうち14名と多くの
新人がチャレンジし5名が当選した。
倍率の多い順に見ていくと武蔵野が1.54
倍現職落選者は2名、狛江が1.5倍現職落
選者は2名となったいる。
なお、東隣の東村山は、1.2倍で現職全
員が当選っしている。また、西隣の武
蔵村山は1.15倍で現職全員が当選して
いる。
父の母親の七回忌法要の打ち合わせに
夕方、隣村から父の叔父がやってきた。
叔父は、3~40分で打ち合わせは終わ
って帰って行った。
翌日、朝早く村の有力者がやってきて
深刻な顔つきで
「ゆんべ誰かが来てたようだがなんか
あったかえ?」
「きのうはのう~ばあさんの法事の話
で倉之助さんにきてもらったがぇ」
「ほんならいいけど今は大事な時での
う、勝蔵さんにはどうしても出てもら
わないと。台風でやられた護岸工事や
お宮さんへの道の土砂崩れをなんとか
しねぇと。」
勝蔵さんは村の代表として町会議員に
立候補していた。現在は選挙運動期間
中で村をあげて隣村の境あたりで隣村
等から村に入ってくる人をチェックし
ていた。利益代表として村から1人は
出さなければならない。
わたしが,小学生のころ田舎ではこんな
選挙運動が行なわれていた。
戦後最初の統一地方選挙は、1947年
(昭和22年)4月に行なわれた。20歳
以上の男女に選挙権が与えられた。投
票率は実に70%を超えていた。
今年の全国の市議会議員選挙の投票率
は、47.73%であった。
これは、市政への関心度を示すもので
ある。
東大和は、47.81%,東村山は、47.86
%であった。