80年間の平和
平和でありますように
第21回平和市民の集い
広島からの苗木を移植した青桐二世
私の戦争経験
80年前7歳小学生2年生、登校して2時間目、空襲警報のサイレン。下校するように先生から命令。自宅近くの上級生に連れられて艦載機の音に怯えながら20分走って帰宅した。
空襲警報、B29、防空壕、防空頭巾、灯火管制、焼夷弾・・・・・夜中に空襲警報、叩き起こされ学校の教科書の入ったバックを背負い防空壕へ
三河地震
昭和20年1月13日未明三河地方は、マグニチュード6.8(震度7)直下型地震に襲われた。父は、戦争に招集されていて母、姉、弟と私の家族は恐ろしさにオロオロするだけで母は神棚に向かって地震の鎮まるのを祈るだけで外へ避難したのは地震の揺れが納まってからであった。戦争中であったため国民の戦意を低下させないことや軍需工場の被害を伏せるため報道管制が敷かれ地震発生は報道されたが被害状況等は伏せられた。
一週間以上揺れが納まらずまだ寒さの厳しい中、帆船の帆を屋根にして寒さに震えながら外で眠った。当時は、行政からの備蓄食品もなくボランテアが応援に来ることもなかった。
あれから80年が経ち広島、長崎での原爆被爆者の平均年齢は86歳と私と同年齢である。
21回目をを迎えた「平和市民の集い」
8月16日(土)16:30~19:30 東大和S&D体育館
平和文集の朗読(都立砂川高校放送部の皆さん)
戦争体験記「今は亡き夫とその両親に捧げる戦争体験記」(河野 八重子)
「東京大空襲」(日野 テル)
毎年発行されている平和文集「いま、語り継ぎたいこと」
平和祈念式典
黙祷(私は、1分間に”平和でありますように”と30回唱えた)
和地東大和市長挨拶
中村市議会議長挨拶
渡辺東村山市長挨拶
和地東大和市長の「絶対に戦争はしてはいけない」という強い決意と平和を願う深い思いが述べられた挨拶に敬愛の念を抱いた。
小・中学生による広島派遣事業報告会
東村山市と共同で毎年行なわれている小・中学生を対象に広島に派遣した小・中学生が被爆者からの被曝状況を聞いたり原爆ドーム、記念館などを見学しその感想などがこの「つどい」で報告された。
平和コンサート
東大和少年少女合唱団による1,平和の金 2,いのちの歌 3,ふるさと(会場全員合唱)
うさぎ追いし かの山 子ぶなつりし かの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき ふるさと
東大和市平和都市宣言
恒久平和の実現と核兵器の廃絶は、全人類共通の願望である。
世界の世論のたかまり、各国の相互理解により、核兵器の廃絶
にむけて曙光が見えてきたとはいえ、依然として地球上には多く
の核兵器が貯えられている。
世界で唯一の核被爆国の国民として、また、国際社会の平和と協
調を理念とする憲法をもつ国の国民として,人類の安全と幸福の
ために、地域紛争を含むすべての戦争の防止と、あらゆる核兵器
の廃絶を心から願うものである。
ここに、平和を愛する全世界の人々と手を携えて、戦争と核兵器
のない世界の建設にむけて努力することをあらためて誓い、東大
和市が平和都市であることを宣言する。(平成2年10月1日宣言)
変電所ライトアップと平和祈念キャンドル点灯