地域デビューの中央公民館が解体される。

会社人間から地域デビューへ
私が、東大和市(当時北多摩群大和町)に住んだのは昭和40年(1965年)である。
当時は、立川米軍基地から米軍機が上空に轟音を立てて飛んできた。テレビの声が聞こえない。
朝は、早く起きて青梅橋駅(今は東大和市駅)まで急ぐ。満員電車で1時間半かけて都心の職場に着く。夜遅くまで働き帰宅は深夜に近い。そんな生活を44年勤め上げた。

自由の身をどう過ごす?
「仕事から解放されて自由気ままに過ごせる」自由って何だ。残りの人生をのんびりと暮らすことである。
とりあえず、現役時代に身につけた趣味を思う存分やってみようと思った。まず、アマチュア無線の資格、
職場で打った囲碁、菊づくり・・・・・

公民館で仲間入り
公民館には、いろいろな趣味のサークルがあることを知った。地域へのデビューである。

アマチュア無線クラブ入会
交信出来る免許は既に持っていたので、先輩に手伝ってもらってアンテナを建て、無線機を取り付け開局した。
クラブ局「東大和市アマチュア無線クラブ」には、会員が30人以上いた。中央公民館を常置場所(アマチュア無線設備の設置場所)として屋上にアンテナ設備を公民館に了承の上設置した。月に一度の無線機器の点検運用を兼ねて会合が開催されていた。車でのモービル運用、近隣の山から発信する野外運用などと活発に活動した。

囲碁クラブに入会
プロの先生が、指導碁を2週間に1回打ってくれると言うことで中央囲碁クラブに入会した。囲碁は勤務先で昼休みに上司や同僚と打った。昼休みの時間内では早打ちで終わる。考えてる時間はない。
先生に3回続けて勝つと昇段させてくれた。しかし、そう簡単には昇段させてくれない。2勝して今日は、勝って昇段するぞという時に限って先生の力の入れ具合が違う。結局3段までで終わった。

菊花愛好会に入会
大菊を咲かせて菊花展に出展することに興味を抱いた。市役所の中庭に展示して市民の皆さんに見てもらう。しかし、やってみてそう簡単なものではないことを知る。挿し芽で育てるのだがこのプロセスから脱落した。まともな苗も出来ない。結局、先輩から余った苗を分けてもらいそれを育てる。なんとか咲くが花の形がいびつであったり咲いた花が大小さまざまとまとまらない。やはり苦節10年と言うが菊花展の審査で賞に入ることである。一次審査では優秀花から順番に一列に並べる。二次審査では、審査員資格者が見て順序を決定する。一次で並べられた順序が変更されることがままある。
菊花展にて優等賞を獲得するまでに10年はかかった。

文化協会にて地域の輪を広げた。
アマチュア無線クラブも菊花愛好会も東大和市文化協会に加盟していた。アマチュア無線クラブの理事として市民文化祭、文化協会の祭典などの運営に携わった。文化協会の活動の一環として姉妹都市福島の喜多方市(山都町)との文化交流にもお手伝い出来た。サークル間の交流により知り合いが増えた。

公民館運営審議会委員として
文化協会副会長在任中は、公民館運営審議会委員として公民館の運営にも携わった。

中央公民館解体と代替えの施設がない
中央公民館は、昭和49年(1974年)8月に開館した。私の自宅から100mの距離に位置しており大変便利であった。そんなことから常に利便を利用させていただいた。特に、現役をリタイアーしてから自分の好きな趣味に人生の後半を過ごすことが出来たのはこの公民館のお陰であると感謝している。
建物が出来て52年が経過した。かなり疲れてあちこちがボロボロになって建て替えの時期にきているかもしれない。
中央公民館は、老朽化で解体されるのはやむを得ないとしても解体後、この施設を利用していた人たち、サークル活動、夏休み中の子ども達の居場所としての「遊空間」等様々のイベント開催の場所がない。つまり、折角の居場所である発表活動や展示活動の場所ががなくなってしまった。
135のウオールポケットのサークルや各種団体は、どこで活動を続けるのだろうか?

Follow me!

前の記事

10年で2倍に