大筒車台用材之義御廻状(全文写)
大筒車台用材之義御廻状(全文写)
嘉永6年(1853)7月5日に届けられた廻状(読み下し全文写)
『里正日誌』6巻p446
嘉永6年(1853)7月5日、勝田次郎役所より、
大筒の台車用の用材として欅(槻もおなじ けやき)を運搬するので協力せよ
との通知が来ました。その読み下し文です。
更に意訳します。
大筒車台用の用材之義御廻状運搬協力通知
欅槻類(けやきるい) 但し四ッ輪車ニ捲き綱引
右はこの度、大筒車台の御製作御用に付、書面の材木を
武州青梅村より小川通り、柳沢村より中野通り、内藤新宿、併せて
吉祥寺村・無礼村仙川通り、上下高井戸宿、内藤新宿
より江戸へ運送につき、それぞれ、道筋宿村え、差し支えなきよう井上
万大夫他一人より達しがあったむね、その筋より達しがあったので、先々の
宿々へは、その宿方より通達し、差し支えなきよう致すべきものなり
勝田次郎役所
丑七月五日
甲州道中
内藤新宿
問屋年寄り中
右の通り、仰せわたしがあった事が、内藤新宿役人より申し来たので、直ちに御伝えします。
ついては、当村より青梅村までの村の順序が解りかねるとのことなので、当村から申し上げました。
よって、道・橋にて、差し支えがないようにお取りはからい下さい。この廻状順良く継ぎ立て、最後まで廻ったらお返し下さい。
小川村
名主九一郎
高木村より上郷 乗願寺村まで十六ヵ村の御名主様
以上
関係する記事を「砲台用ケヤキ運搬のため道普請をせよ」(嘉永6年・1853)に書きました。
(2013.10.16.文責・安島喜一)
近世・江戸時代