2017年10月21日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 8現代 東京瓦斯(ガス)電気工業(株)の工場建設 村山貯水池の建設の影響を受けて、村の運営にも経済的な危機が押し寄せていた昭和13年(1938)のことです。松林と一面の畑が広がる村の南端の地に、工場建設の動きが起こりました。東大和市のまちづくりに大きく影響を与えた東京瓦 […] 共有:Tweet
2017年10月19日 / 最終更新日時 : 2021年9月26日 musashinoaj 8現代 日立航空機(株)付属青年学校跡 今では、想像も出来ませんが、画像の位置に「青年学校」がありました。昭和14年(1939)に日立航空機株式会社の工場の付属施設として設けられました。戦時中の教育施設です。全国から青少年が集められました。この学校で学び、戦 […] 共有:Tweet
2017年10月17日 / 最終更新日時 : 2024年3月21日 musashinoaj モニュメント へびのステッキ(モニュメント) 南街五丁目、道が十字に交差する角のそれぞれに公園があります。 栄(さかえ)公園と呼ばれます。その中の一角(画像右側)です。 すべり台や砂場、鉄棒があり、何よりも自然の地面であることが喜ばれます。 ここに、一体のモニュ […] 共有:Tweet
2017年10月15日 / 最終更新日時 : 2023年8月1日 musashinoaj モニュメント つけ木受け取りメモ(モニュメント) 向原四丁目、上仲原公園から用水北緑地を南方向に、あるいは、用水北通りから北に入って間もなく、緑地と道の交差する一隅に「つけ木受け取りメモ」はあります。 東大和市の説明 タイトル:つけ木受け取りメモ 場所:東大和市用水北 […] 共有:Tweet
2017年10月14日 / 最終更新日時 : 2024年4月15日 musashinoaj よもやま話 つけ木の受取りメモ(37) 細長い村で茶摘み 東大和市がまだ芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、狭山、清水の6つの村に分かれて、狭山丘陵の麓から野火止用水際まで、それぞれに細長い村であった頃の茶摘みの話です。 全くの農村で空堀川から南には、青梅橋の一角 […] 共有:Tweet
2017年10月10日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 板碑の集中埋納 板碑は単独、お地蔵様と一緒、覆屋の中・・・など、様々にまつられます。今回は東大和市内で江戸時代に集中して埋納されていた例を紹介します。狭山の杉本林志氏が著した『狭山之栞』に次のように紹介されています。 「古碑図 […] 共有:Tweet
2017年10月9日 / 最終更新日時 : 2023年7月9日 musashinoaj 6中世 永仁二年(1294)板碑 狭山丘陵周辺の板碑 狭山丘陵周辺の板碑の造立は次の通り、13世紀後半に始まります。 市名 最古 最新 入間市 建長2年(1250) 所沢市 建長8年(1256) […] 共有:Tweet
2017年10月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 musashinoaj 6中世 板碑(東大和市) 中世を語り解明する有力な資料に「板碑」があります。秩父産の青い岩石(緑泥変岩)を材料にして、石板状にしたものです。「青石塔婆」とも呼ばれます。産地が近かったことと鎌倉街道が通じていたことから、武蔵には多数(約4万基)が […] 共有:Tweet
2017年10月5日 / 最終更新日時 : 2022年1月15日 musashinoaj 6中世 宅部美作入道貞阿(やけべみまさくにゅうどうじょうあ)(1368年) 中世、東大和市にはどのような人々が活躍したのでしょうか? その一人に宅部美作入道貞阿がいます。普済寺版経典(1368年)に名が記されている人物です。 中世になると、仏教の経典はこれまでの書き写し中心から木 […] 共有:Tweet
2017年10月3日 / 最終更新日時 : 2020年9月14日 musashinoaj 6中世 建武三年(1336)の鐘(豊鹿島神社) 元弘3年(1333)5月、新田義貞の鎌倉攻めで、近接する小手指、久米川、分倍と目の前で戦乱を目にした東大和の人々。鎌倉幕府が滅亡し、京都に戻った後醍醐天皇は、元号を建武と改めました。日本の時代が大きく動いた時でした。そ […] 共有:Tweet